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ーー一方で、日本は占領が解けると、収監されていた戦犯容疑者たちをすぐに釈放したりもしています。そうした対応を見ると、そこまでGHQの情報工作がうまくいってはなかったんじゃないかとも考えられるのですが。

伊藤 いやいや、そんなことはないですよ。戦犯を釈放した話は、朝鮮戦争とかでアメリカの姿勢が変わったこととも関係があると思いますよ。つまりはそれも、アメリカの影響力の下で行われたことです。

歴史を分析するための“立脚点”

――次に、歴史との向き合い方について伺えればと思います。伊藤さんは、マルクス主義的な歴史観に対して、実証主義的な手法によって対抗してきた方なのだと思います。ただ、『正論』に掲載された江崎道朗さんとの対談では、実証主義に対しても批判しているところがあります。

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 その箇所を読みますと、「『実証主義』に走るひともいて、非常に細かな問題は扱うのですが、ではそれが歴史研究のなかで、どこにどうつながっているのかがわからない、という話になる」「視座や、よってたつ論理がないと説明が付かないし、実証研究など成り立たないんです。ただ、こういう資料がありました、こういう事実があったで終わってしまう。非常に厳しいのです」と。これは、単に実証だけやっている人はダメなんだ、という意味でしょうか。

伊藤 そうですね。やっぱり、歴史を分析するための立脚点は、自分で作っていかなきゃいかんでしょ。それをマルクス主義の図式とか、東京裁判史観とか、そういうものに全部頼ってる人が非常に多いわけです。それをもとにしてやったって、いろんな事実の中で、自分の理屈に合うものを集めてくるだけだから。それは実証とは言わないんじゃないかな。

 

――ただ、一般に実証主義といいますと、資料を見て「これがありました、あれがありました」という事実だけを扱う、そのようなイメージを持っている人も多いのではないかと思いますが。

伊藤 そこに価値観が入っちゃうと、やっぱりまずいんです。歴史のことを考えるときに、善悪とか誰々の責任だとか、そういう言い方はダメです。だけど、だいたいこういうふうに歴史を認識するという、その構造はやっぱり必要ですね。

今の若い歴史家をどう見ている?

――伊藤さんは『昭和初期政治史研究』の中で「進歩と復古」と「革新と漸進」という軸を作られたわけですけれども。

伊藤 誰でもそれを、自分で作りなさいということです。ただ、世の中というかな、歴史学界にはマルクス主義、東京裁判史観が流布している。それに沿わないとなかなか、認めてくれないわけですよ。大学に就職するときとかに、こいつは変な奴だとはねられないように、そっちに寄っていくわけ。そのうちに、本当に引き込まれてしまう。

――逆に、今の若い歴史家の中で、そうした歴史観に引きずられずに、新しい視座を作ろうとしているな、と思われる人はいますか?

伊藤 いやあ、それがあんまり見当たらないんで、残念だなと思っているわけですよ。