重要人物の日記や書簡などの一次史料発掘や、竹下登・後藤田正晴らをはじめとした「オーラル・ヒストリー」の取り組みで、日本近現代史研究に大きな影響を与えてきた伊藤隆さん(東京大学名誉教授)。現在は国家基本問題研究所(国基研)の理事を務めるなど、保守論客の一人としても知られています。

 88歳になった今でも最前線で研究を続ける歴史家の目には、近年の日本やかつての教え子はどのように映っているのか――。近現代史研究者の辻田真佐憲さんが聞きました。(全2回の1回目/後編に続く

伊藤隆さん

日本学術会議は「なくしたほうがいい」

――櫻井よしこさんが理事長を務めている国基研の「日本学術会議は廃止せよ」という意見広告に、伊藤さんは賛同人として名前を連ねています。ただ、あのとき任命拒否された6名のうち1人は、弟子に当たる加藤陽子さんでした。この一連の問題についてどのようにお考えなのか、まずは伺いたいです。

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伊藤 もともと日本学術会議って、僕とはまったく無縁の存在でね。あれはいろんな学閥というかな、大学とか、企業とか……それと民科(民主主義科学者協会)という、共産党系の人たちにとっては関心があるんだろうけど、他の大半の学者にはまったく関係ないんですよ。どちらかといえば、今はもう左翼の巣窟になってるからね。あんなもん、なくしたほうがいいと、僕は思っているわけです。

――あの6名の方が任命拒否されたのは、政府の安全保障の法制に反対したからだ、という意見もあります。

伊藤 安全保障についての研究に、彼らはだいたい否定的ですから。それはだって、今、安全保障の問題は日本にとって一番緊急じゃないですか。(任命拒否の背景は)たぶんそういうことだろうな、と僕は思っていますけども。

――加藤さんについては、以前、毎日放送でやっていた『教育と愛国』という番組でインタビューをお受けになっていますね。同じタイトルで本にもなっています。

伊藤 なんだかね、いろいろ忘れてるね。それ、僕がインタビューを受けてるの? (本を確認して)……本当だ。ああ、なんかね、この本、送ってくれなかったな。

 

――そうなんですね。この中で伊藤さんは、山川の教科書を執筆されたとき、問題のある記述を直した。ところが、その後を継いだ加藤さんが、せっかく直した箇所を元に戻してしまった、と仰っています。そして加藤さんに対して「あれは本性を隠していた」と。とはいえ、お二人は師弟関係で、かつては大学の中でかなりコミュニケーションもあったはずですよね。

伊藤 そう。

――それがなぜ、このようなことになってしまったのですか。

かつての教え子たちについて

伊藤 僕のところにいる分には、左翼を丸出しじゃ具合が悪いと思って、隠していたんでしょう。いい論文を書いてましたけどね。でも、ゼミの報告なんかを聞いてると、初めに理論があって、それに必要なデータを集めるという、そういうやり方だからね、非常に気に入らなかったんだけど。

――指導をされていた頃から、伊藤さんとしては違和感があったということなんでしょうか。

伊藤 いや、そのときは本当にうまくやってたと思います。

――学術会議の問題に関しては、同じく弟子である古川隆久さんも、「任命拒否の撤回を求めます!」という署名運動をされています。古川さんに対しては?