思春期に悩んだ「自身のアイデンティティ」
「正直、すごく悩みました。自分は日本で生まれて、日本語を話して、日本の仲間と生活して、日本のフットボールに育てられた。両親もすでに韓国語はネイティブではなくて、教えられるほどでもないという感じでしたから。ただ、一方で自分のルーツが韓国にあることも間違いない。そこには大きな葛藤がありました」
自身のアイデンティティについての悩みはずっと持っていた。
「やっぱり思春期には自分が韓国人なのか、日本人なのかが分からず、考えてしまう瞬間もありました」
そんなとき、大きな影響を与えてくれたのが、当時サッカー日本代表で活躍していた李忠成の存在だったという。
「当時、忠成選手が日本代表で活躍されていたんです。同じように在日韓国人として生まれて、日本国籍に変えてからも日本名ではなく『李』の苗字のままで活躍していて、それが印象的だった。僕は自分のルーツに対して、愛国心…というほどのものは全然なかったんですけど、自分の両親や祖父母が“在日外国人”として日本で生きてきたということに対するプライドはあった。だからこそ忠成選手の活躍は、すごくカッコよく見えたんです」
李がたどり着いた結論は「自分は在日韓国人であり、韓国にルーツを持った“日本人”なんだ」ということだった。
「ある意味で韓国人でもあり、日本人でもある――大きな括りで言えば、『アジア人』なんですよね。そういう風に考えるようになりました」
そうして李は「日本国籍を取得して、世界選手権に参加したい」と両親に打ち明けた。
両親は「卓の権利だから、挑戦したらいい」と背中を押してくれた。当時、未成年の李が国籍を変更するには、保護者も一緒に国籍を変更しなければならず、母の美苗さんも一緒に日本に帰化してくれたという。
日本人がまだ未踏であるNFLという夢
結局その年のU-19世界選手権には間に合わなかったものの、翌年には学生でただ1人、社会人に交じってフル代表として世界選手権に出場。本場アメリカに敗れて準優勝に終わったものの、世界のレベルを肌で感じることができた。そして、その頃からNFLという夢は、現実的な目標へと変わっていったという。
「国際大会でアメリカ代表と戦った時も、スピードもクイックネスも勝負できるということは感じましたし、試合中にどんどん成長しているのを感じました。高いレベルの環境に身を置けば絶対に成長できると思ったんです」
大学では3、4年時に2年連続で関東リーディングラッシャーに輝いた。卒業後はJALに入社し、自社養成のパイロットを目指しながら社会人リーグでも活躍。新人王にも輝いた。仕事に、フットボールに、充実した生活を送っていた李だったが「NFLを目指して勝負したい」という思いは消えなかった。そして、2018年にJALを退社し、夢を追いかけることを決めた。