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子ども扱いしながら依存する毒母

 道綱母に特徴的なのは、息子の道綱をいくつになっても“幼き人”と呼んでいることです。

 父に捨てゼリフを吐かれて大泣きした12歳の時はもちろん、16になっても17になっても“幼き人”と呼び続けます(中巻)。

 しかもその“幼き人”に依存しているということが、道綱が17歳の折、夫と険悪さを増して、いよいよ山寺に籠もった時のくだりで分かるのです。

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 この時も可哀想な道綱は、父・兼家に、

「だいたいお前がだらしないから」

 と怒られ、それを母に訴えて、

 “泣きにも泣く”ということになる。そして、

「父上をお送りします。こちらには二度と来ません」

 と、母に啖呵を切って出て行くものの、

「父上をお送りしようとしたら、『お前は呼んだ時に来ればいい』と言って帰ってしまわれました」

 と、しくしく泣きながら戻って来る。

 こんな環境で育てば、そりゃあ、しっかりもしないし、精神不安定にもなりますよ。

 この時、道綱母は、17にもなる道綱を依然として“幼き人”と書く一方で、“頼もし人”とも書いていて、依存心をあらわにしています。

「この子を“頼もし人”にしているのに、二度と来ませんなんて、ひどいことを言う」

 と、息子のことばにショックを受けている。結局、道綱は父にも見捨てられた形で、泣く泣く戻ってくるわけですが。

 毒親が子に依存するというはっきりとしたサンプルが、ここにはあります。

 ほんと、道綱、可哀想です。

新潮新書「毒親の日本史
(大塚ひかり)

 ラブレターをさらされ、夫婦喧嘩に巻き込まれ、父には怒られ母には依存され、あげくの果ては母親につき合わされて、山寺で精進料理を食べ続け、激ヤセ(“いといたく痩せ”)する。そのあいだにも、

「ひと思いに死んだほうがいい身なのに、あなたのことが気がかりで、今日まで生きているんだから」(“ひた心になくもなりつべき身を、そこに障りていままであるを”)

 などと恩着せがましく言われ、一方では、道綱母の叔母が来るわ、姉妹が来るわ、遠い親戚も来るわ、騒ぎはどんどん大きくなっていく。

 結局、世間体を考えた兼家は使者を寄越し、それでも動かぬ道綱母のもとに、時姫腹の19歳の長男・道隆を遣わして、しまいには兼家本人の登場となって、やっと道綱母は帰京するわけです。