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『蜻蛉日記』は元祖「セレブの暴露本」

 そんな母の子の道綱は、被害者以外の何ものでもありません。

 こうしたことが逐一、1000年以上あとの我々に分かるのは、道綱母がこの日記を公表したからです。

 そもそもの日記執筆の動機が、

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「世間にあふれる古めかしい物語の一端なんかを見ると、いい加減な作り話でさえもてはやされるんだから、人並みでない身の上を日記の形で書けば、珍しがられることでしょう。天下のセレブとの結婚が、本当はどんなものなのか、尋ねる人がいたら、答の一例にでもしてちょうだいよ」(“世の中に多かる古物語のはしなどを見れば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ、天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし”)

 てんですから。

 要するに、道綱は、夫婦の暴露本を出した女を母に持っているんです。

大塚ひかり氏

 この文脈からも分かるように、道綱母自身はセレブ階級(大貴族)出身ではありません。受領階級(中・下流貴族)出身だったのが、美貌の評判で玉の輿的な結婚をした。急速な階級移動というのは成り上がるにせよ落ちぶれるにせよ、人に大きなストレスをもたらし、時に自分の欲求達成の手段として子どもを利用するようになることが知られていますが(エリオット・レイトン『親を殺した子供たち』)、道綱母の場合、それに加えて夫は浮気性なんですから、毒母になるのもある意味、無理はないかもしれません。

 しかも道綱母にとって、道綱は腹を痛めたただ一人の我が子。夫の訪れが間遠な中、彼女の関心は道綱一人に集中する。道綱母は、姉妹や使用人と同居していたので、母一人子一人ではないにしても、道綱にとってはさぞ重い母だったでしょう。

 ちなみに、道綱が得た最高の官職は大納言。

 異腹の兄弟たちが内大臣や関白に出世したのに比べるとぱっとしませんが、子孫はそれなりに栄え、その美声を梵天、帝釈までもが聞きに来たという道命阿闍梨(『宇治拾遺物語』巻第一)や、四代鎌倉将軍・藤原頼経の妻となって五代将軍・頼嗣を生んだ親能女、九条教実の妾となって関白・忠家を生んだ恩子等々、父祖以上の栄達を果たした者たちもいます。だからといって道綱の苦労が癒やされるわけではありませんけどね……。

毒親の日本史 (新潮新書)

大塚 ひかり

新潮社

2021年3月17日 発売