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よくも悪くも「真にグローバルな会社」

 ただ、こうした出来事も、マイクロソフトの考え方でいえば数字が「ウソ」をついているのではなく、ただの「間違い」だったということ。良くも悪くも「真にグローバルな会社」でした。徹底して数字で世の中を見ていました。

 MTVでは「日本支社」とはいえ、代表取締役CEOという肩書きがあったぶん、PL(損益計算書)やキャッシュフローまで見て組織運営をしていました。でもマイクロソフトの場合は、そこまで自分の責任があるわけではありません。日本法人の経営陣とはいえ、あまりにも会社の規模が大きすぎて「イチ部署の課長」のような感覚でした。

 マイクロソフトでは収益を直接見るのではなくて「収益にどう貢献したか」という数値で自分の成果を測ります。もちろんその数値のなかには人件費の配分なども含まれています。

 

 MTVのときは「自分の管理する社員の生活を、どうやって良くしていくか」なども考えて会社を運営していました。しかし、マイクロソフトではぼくがそんなことを考えなくても、会社が収益を管理して、人件費を配分するモデルができていたのです。感情が介在しないので、ある意味「機械的」にものごとが進んでいく感覚でした。

「あと1回ぐらい無理できるかな」

 ぼくがマイクロソフトにいたのは4年間。2年間は日本で、最後の2年はシンガポールです(ちなみに、2021年の5月からシンガポールにあるTwitter社のアジア太平洋地域本社で、アジア太平洋地域全体の広告事業も担当することになりました。その意味では、シンガポールにも不思議な縁があるのかもしれません)。

 シンガポール時代は本当に「地域の統括の責任者」だったので、日本もインドも中国も全部自分の配下にある一方で、現場からはすごく離れてしまう面もあった。次第に寂しさを感じ、日本でなくてもいいのでもう一度、どこかの国の責任者をやらせてほしいという気持ちが強くなっていきました。

 そんな4年目の終わりのあるとき、「シアトルの本社に来いよ」と声がかかりました。ありがたい話でしたが、「あ、これはもっと現場から離れちゃうな」と……(笑)。

 当時、ぼくはまだ40代後半。「あともう1回ぐらい無理できるかな」と思って、思い切ってマイクロソフトを飛び出すことにしたのです。

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