最初から相当数の殺害が想定されていた
突然出現した謎のコンテナ冷蔵庫は、武力鎮圧の翌朝になって使用目的が判明する。
「鎮圧で死んだ人を、着衣のまま透明なビニール袋に入れて、冷蔵庫の中に何人も収容していたんだ。その後も2週間ほど、コンテナは病院の庭に置かれたまま。夏だから、冷蔵庫のなかでも死体が腐って周囲に臭いが漂っていた。2週間後に、どこかの中年の商店主の遺体が遺族に引き取られた光景を覚えている」
軍の投入で多数の死者が出れば、市内の病院の霊安室が足りなくなる。当局はあらかじめそれを見越したうえで、臨時の死体置き場を手配していたと考えてよかった。
戒厳部隊は予想外の事態に混乱してやむを得ず発砲したのではなく、最初から相当数の人間の殺害を想定していたということだ。
「ひどい、とにかくひどい。19世紀にフランスでパリ・コミューンが鎮圧されたときだって、市民の側は武装していた。なのに天安門事件では、丸腰の人間がどんどん殺されたんだ。私はあの日のことを死んでも忘れない。絶対にだ」
ここまで淡々と思い出話を語り続けてきた凌が、はじめて色をなした。
インテリが主導する革命は失敗する
「仮に現在、再びデモが起きたとしても支持する。中国の政治体制の本質的な問題点は天安門事件のときから変わっていないが、これは変わらなくてはいけないんだ。ネットの普及や公民意識(市民意識)の広がりで、世の中は昔よりも少しはよくなった。たとえ歩みは遅くても、もっとよくなってほしい」
凌静思はいまだに民主化を望む気持ちを公言している。
彼は1990年代に日本に留学し、それから8年間ほど日本国内で生活した。民主中国陣線のような政治組織には加入しなかったが、すでに海外の中国民主化運動が袋小路に入っていた1990年代末に、カンパを集めて募金をおこなったこともある。かなり熱心なタイプだったと見ていいだろう。
ただし現実は見えている。一方でこんなことも言うからだ。
――秀才造反、三年不成(文弱の徒の反乱は、いつまでたっても成就し得ない)。
――秀才遇上兵、有理説不清(文弱の徒は暴力を前にすれば、道理を説くことはできない)。
事実、清朝末期の戊戌変法や辛亥革命をはじめ、過去の中国でインテリが主導する革命は必ず失敗するものと相場が決まっていた。唯一成功できるパターンは、毛沢東のように庶民のドロドロとしたルサンチマンを取り込んだ農民反乱型の権力奪取だけだが、この手の「革命」の結果として生まれる政権は、やはり従来と同じく専制的な体制のものにしかなり得ない。