市民からリンチを受けた兵士らしき死体も
銃声は明け方まで鳴り響き続けた。
その合間を縫うように、「ファシストめ」「共産党を打倒しろ」という叫び声があちこちで聞こえたが、いずれも発砲音でかき消された。
「悲しくて悔しかった。国家の偉い人たちの側から、ほとんど話し合いがなされないままこういう結果になった。学生はこれまで50日以上もずっと運動をやってきていたんだ。私たちは決して衝動的にやっていたんじゃない。国を愛して、よりよい未来を求めていたつもりだった。そんな若者を殺して、どういうつもりなのだと」
やがて空が白みはじめ、6月4日の朝が来た。
凌が母のいる病院を目指して歩いていると、人民解放軍が進んだ後の道路はあちこちが黒焦げになり、正視に堪えない死体が路面にいくつもへばりついていた。逆に「こいつは4人を殺した」という紙とともに、裸に軍帽だけを被せられた姿で宙吊りにされている兵士らしき死体もあった。市民からリンチを受けたのだろうと思われた。
市内のあちこちに無人のトロリーバスが放置されていた。戦車の進撃を防ぐ目的なのだろう。新たなバリケードを作っている市民もいた。
「こんなものを作ったって、軍隊を止められやしねえのはわかってる。だが、おれは抗議する気持ちを示したいんだよ」
バリケードの周囲にいた男に尋ねると、そんな返事がきたそうである。
「やむ終えず発砲した」は真実か?
ところで人民解放軍の作戦目的は、天安門広場内部の学生を無血排除することだった。
結果的に武力が行使されたのは、広場までの進軍途中で直面した「妨害行為」に対して「必要とするすべての」手段をとれ、という命令が出ていたからだ。当時の当局側の報告書には、市民や学生の抵抗が激しすぎたことで、軍側はやむを得ず発砲した――といった記述も多い。
多数の死者が出ることは当局側にとっても想定外だったという主張である。現在は当局寄りの考えを持つ他の取材対象者たちも、私に似たような話を語っている。
だが、裏取りが困難な問題とはいえ、凌静思は上記の見解を覆すような目撃証言も話してくれた。
「郵電医院の庭に大きなコンテナみたいな冷蔵庫が置かれていたんだ。ある日突然出現して、不思議に思っていた。6月3日より前なのは確かなんだ。本当に『いつの間にか置かれていた』という感じだった」