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2021/05/10

民主化への思いを持ち続けられるのはなぜか

 凌は中年になっても夢を捨てない一方で、やはり中国人だ。むしろ膨大な書籍を読み込んでいる人だけに、中国社会の悲しい性質についても誰より理解している。

「わかっているんだ。でも、悲観はしたくない。私は希望を捨てないでいたい。いつか、もっと大きな変化が起きて、あの事件が再評価される日が来ると信じている」

 彼は公盟の新公民運動も、香港の雨傘革命も応援したいと考える立場である。中国政府に批判的なニュースについても、ネットを通じて積極的に情報収集をおこなっているようだ。

 だが、ここまで話を聞いて、やはり疑問が浮かんだ。

 事件の渦中にいたのに現在は民主化問題から距離を置く中国人も多いなかで、なぜ凌静思は気持ちを変えないでいられるのか。

 熱血闘士型の人物ならばまだ納得がいくが、現在の凌はよく言えば冷静沈着、悪く言えば虚静恬淡とした、覇気や存在感が薄い人物だ。がむしゃらに敵に立ち向かうタイプにはどうしても見えない。

写真はイメージです ©iStock.com

大義のために捧げる死

 その答えを探るために、私は天安門関連の取材ではお決まりの質問をぶつけてみた。

「自分の子どもがデモに参加したいといった場合、賛成しますか?」

 凌はあまり逡巡することなく賛成の言葉を口にした。

「もちろん、運動に参加することの危険性は教える。自分の命を大事にしろ、誰も守ってくれないんだと。有意義な死ならいいが、無駄死には絶対にするなと、そう言い聞かせると思う」

 生命の大切さは説くものの、大義のために捧げる死について完全には否定していない。

 ある意味で、尖った考えだ。

「私には子どもがいないんだ」

 やや驚いた顔を浮かべていた私に、凌はそう続けた。

「妻は、出産のときに運が悪くて亡くなった」

 凌は過去に、不幸な事故で家庭を失っていたのだった。

 中国の民主化への憧憬と八九六四の鎮圧への怒りは、当時の中国であの運動に全力で参加した当事者しか、本当の意味での肌感覚を理解できないものかもしれない。だが、いっぽうで親の立場から学生を眺める視点もまた、自分が子どもを持つ立場にならない限りは実感を伴った理解を持つことができない。

 彼は事件後の人生のなかで、後者の感覚で学生デモをとらえる機会を永遠に失った人だった。