相模原の野球少年のために大量のサインボールを贈ってくれた大エース
東林ファルコンズと新町中で、7年間一緒に野球をしていたのが、現在は高松中央高でコーチを務める長谷川雅宜である。日大藤沢高では2007年春に甲子園出場、中央大の準硬式では3度の日本一を果たした。
「子どものころから、菅野家で遊んでいました。最新のゲームソフトがたくさんあって、美味しいお菓子も出てくる(笑)。野球は、『生まれ持った才能があるからいいよね』という目で見ていた人が結構いたと思います。あいつなりにプレッシャーを感じていて、それを言われないように努力していた。でも、その努力を人前で見せないのが菅野。そういうやつです」
新町中では平日7時から朝練があったが、時々、菅野が一番乗りでグラウンドにいたという。大学時代の菅野に取材した際、中学に入ってから、父親と二人で自宅近くの公園で「朝練の朝練」をしていたと教えてくれたことがあった。
内藤先生は、菅野が3年生のときに赴任した(2年生までは、東海大相模OBの梅澤正彦先生が指導。原貢氏の教え子であり、菅野の父の先輩にあたる)。
「菅野は努力せざるをえない環境にいた。その環境が、あそこまでのピッチャーに成長させたと思います」(内藤先生)
よく覚えているのが、菅野がライトのネット沿いを走る姿だ。
「土日に試合をして、月曜日が休みというスケジュールでした。火曜日になると、『先生、今日はピッチャー練習をしたいので』と黙々と走っている。よく見ていたのがメモ帳。たぶん、貢さんかお父さんからトレーニングメニューを渡されていたんだと思います。中3夏が終わったあとも、一人で走っていました」(同前)
新型コロナウイルスの影響で、部活動が休止となった昨春。内藤先生と長谷川が相談したうえで、「子どもたちに力を貸してほしい」と菅野にLINEを送った。内藤先生が発案したのは、菅野の応援歌が流れている間に、素振りが何回できるか。相模原市内の小・中学生や教え子に声をかけた。
「はじめは、菅野が書いたサインボールが優勝賞品の予定でした。それが、菅野が3ダースぐらいサインボールを贈ってくれたので、各校の上位選手にプレゼントしました」(同前)
相模原のヒーローからのサインボール。これほど嬉しいことはないだろう。
「日頃、菅野にLINEを送ると、『ナイスピッチング』とか自分に関することは既読スルーになるんですけど(笑)、『お前を目標に、相模原の子どもたちは頑張っているぞ!』という内容には、『子どもたちのためにも頑張ります』といった返信がくる。『子どもたちに夢を与えたい』ということが、ひとつのモチベーションになっていると感じます」(同前)
菅野からエネルギーをもらっているのは、大人も同じだ。長谷川は自宅のトイレに菅野のポスターを貼っていて、「菅野の大ファン」と嬉しそうに語る。
「3年前、CSのヤクルト戦でノーヒットノーランを達成したときのガッツポーズがめちゃくちゃ好きなんです。あいつが活躍するたびに、元気をもらっています。今は全然違う舞台にいますけど、自分の活躍が菅野の耳に少しでも入るように頑張りたい」
3年前から、地元・神奈川を離れ、香川の地で甲子園を目指している。
内藤先生は、菅野と「日本一」を争う。
「菅野はまだチームで日本一になったことがないので、菅野より先に日本一になるのが目標。あとは、1年でも長く、相模原の子どもたちから目標にされる選手でいてほしい。ケガだけには気をつけて、投げてほしいですね」
菅野の活躍を心待ちにしているファンがたくさんいる。いつまでも、地元・相模原のヒーローであり続けてほしい。
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