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2021/04/29

 私の友人のジャーナリストは梅田近くに実家があった。彼に泉の広場について尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「泉の広場のあたりは、兎我野と呼ばれているんです。今から20年ぐらい前までは、ラブホテルの前にタイ人が立っていたりして、異質な空気が流れていましたね。ラブホテルのあった場所は、その昔は寺町で江戸時代の遊女の墓もあったと思いますよ」

兎我野のラブホテル街 ©八木澤高明

 現在、大阪駅もあり大阪の玄関口となっている梅田周辺は、江戸時代まで時間を巻き戻してみると、大阪の外縁部にあたり、墓地があるなど、寂れた場所だった。現在の兎我野ラブホテル街の前身である寺町は、大坂夏の陣のあと街が整備された際に形成された。ちなみに近松門左衛門の『曽根崎心中』の冒頭に登場する太融寺は、今も変わらず兎我野のラブホテル街の中にあり、淀君の墓があることで知られている。

淀君の墓 ©八木澤高明

 東京の吉原などからもわかるが、色街は町外れ、日常と切り離される川の側と相場が決まっていて、大阪においても、町外れに曽根崎新地ができた。そして、今日のラブホテル街、泉の広場という立ちんぼたちが集う場所が形成される下地ができた。

 泉の広場に立ちんぼたちが集まったのは、単なる偶然ではなく、歴史的な水脈によって、湧き出た水が噴き出したのが正に泉の広場だった。

「待ち合わせ場所が、いつの間にか売春スポットに」

 それにしても、泉の広場が摘発された理由は何だったのだろうか。ジャーナリストの友人を通じて、大阪の大手新聞社の支局に在籍している記者を紹介してもらった。

「泉の広場は、待ち合わせのスポットとして有名だったんですけど、いつの間にか売春のスポット化したそうなんです。それで付近の飲食店関係者などから、どうにかして欲しいという陳情が曽根崎署や大阪府警に寄せられていました。それでも警察は手をつけられませんでした」

「手をつけられなかった理由は何ですか?」

「これまで売春防止法は五条一号が適用されていたんですが、その条文では、公衆の目に触れるかたちで客を勧誘するということが、処罰の対象となっていました。例えば、声を掛けたり、腕を引っ張ったりといったことです。ところが、泉の広場の女性たちは、警察を警戒して自ら行動しないので、五条一号では逮捕することができなかったんです。

 そこで警察は検事とも相談し、五条三号を適用して、摘発に踏み切りました。五条三号とは、人前で客待ちし、売春に誘うことを処罰対象とする条文です。ただ、立ちんぼと一般人との見分けが難しいということでこれまで適用されることはありませんでした。今回、適用に踏み切ったのは、警察と検察の連携によるものです」

 2019年5月15日から主だった摘発がはじまり、昨年の2月29日まで続いた。逮捕された61人が売春に走った理由は、半分以上の38人が生活のために、借金が8人、遊興費のためが13人、性的欲望が1人、小遣い欲しさが1人、ホストクラブのためが9人といった具合だという。