「11年の、夏休み前だったから7月だと思います。時刻は午後9時前後でした。私が友人と一緒に美代子のマンションの近くの公園を通りかかったら、黒いワンボックスカーの横で、2人の中年女性が交互に小学生の女の子を叩いていたんです。女性2人は無言で、平手で顔や腹を叩いていました。そして子供もただ黙って叩かれていて、よろけないんです。一種異様な光景でした。ただ、ちょっとこれはいけないと思い、私が『子供を叩くのはやめたら』って注意したんですね。だけど女性2人は無表情のままで叩くのをやめないんです。そうしたらいきなり車のドアが開き、美代子が降りてきて『家族の問題やから黙っとれ』と怒鳴ったんです。互いに顔は知っているはずなんですけど、向こうは私に気づいていないようでした。それがあまりの剣幕だったので、私と友人はその場を離れ、警察に通報したんです。子供が殴られてるって。そうしたらパトカーがやって来ました。それでしばらくして警察から電話があり、『ちゃんと指導しときました』と言われたんです」
いったいなにが原因でそうなったのかはわからないが、美代子に監視されながら、母であるB子と伯母のC子が、娘であり姪である小学生の次女を何発も叩いていたというのだ。それは尋常ではない光景だ。
美代子の作り出した恐怖を前に、大人たちがまず崩れた。A男・B子家の場合、40代の大人の男女が矜持を失った。もちろん、美代子が元凶であることは明らかだ。だがしかし……との思いを捨て去ることはできない。
暴行による骨折に食事制限による衰弱、体重半減…D子さん死亡の凄惨な状況
そして大人でゆいいつ抵抗を続けてきたD子さんは、その2カ月後にあたる11年9月11日に死亡した。66歳だった。同年11月の遺体発見後に行なわれた解剖の結果、喉の骨と肋骨3本が折れていた。また、2年前に41キログラムあった体重が、死亡時には22キログラムにまで半減していたという。彼女が亡くなった状況について、後に美代子、A男、C子、B子が、D子さんに対する傷害致死罪と監禁罪で起訴された際、起訴状に書かれていた文言は以下の通りだ(一部抜粋)。
〈(D子さんに)生存に必要な水分を摂らせないとともに、食事の回数を制限して充分な栄養を摂らせず、就寝時間及び起床時間を指定してこれを守らせるなどしたうえ、時折、長時間立ったままの姿勢でいることを強制し、また、同人の顔面及び頭部を平手や新聞紙又はカタログを丸めて棒状にした物で殴打し、同人の太ももを足蹴にするなどの暴行を加え、同月(8月)下旬頃には、これらの継続的な虐待行為により、同人が下痢等の症状を呈し衰弱した状態になったことを認識しながら、その後もなお同年9月11日頃までの間、同人に対し、前同様の虐待行為を継続し、また、同日頃には、同人の頭髪をつかんで引っ張り、その腹部及び背部を足蹴にし、その頭部を足で踏み付けるなどの暴行を加えて更に同人を衰弱させ、よって、同日頃、同所において、これら一連の行為に基づく傷害により同人を死亡させた〉
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