2012年10月に発覚し、日本中を恐怖の渦に巻き込んだ尼崎連続変死事件。主犯の角田美代子と共同生活を送っていた疑似家族は、親族間同士での暴力を強要され、飲食・睡眠の制限や、財産を奪われるなど、数々の被害を受けていた。にもかかわらず、監禁されていた女性が警察に駆け込むまで、事件は長らく発覚しなかった。なぜ、被害を受けていた大人たちは、周りに助けを求めなかったのだろう。

 その一つの鍵は角田美代子の異常なまでの暴力支配が挙げられる。ここでは、ノンフィクション作家の小野一光氏による著書『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』(文春文庫)の一部を抜粋。彼女がどのような凶行に及んでいたのか。その一端を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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ふたりの子供を人質にして家族会議を強要

 美代子はすでに、喫茶店の開店資金に充てるはずだった、A男(編集部注:角田美代子のクレーム対応をきっかけに知り合った男性。美代子に支配され、元嫁の母を殺害した)の退職金の一部である900万円を巻き上げていた。次はどうやって土地家屋を手に入れるかが、課題である。

 とはいえ焦りもあったのだろう。これまでの“家族乗っ取り”とは異なる、慎重さに欠ける行動も見受けられた。以前は警察の動きを封じるため、親族内で暴力を振るわせていた美代子が、あるときからみずから手を出すようになり、同じく親族ではないマサ(編集部注:美代子の戸籍上いとこ。暴力の実行役を担わせられ、暴行装置として恐れられた)にも暴行を命じるようになったのである。

 きっかけは同年暮れにA男が美代子らと訪れた和歌山県の喫茶店で、店内を見てふと漏らしたひとことだった。

「本当はこういう店をB子(編集部注:A男の元嫁)としたかった。喫茶店をやるにはB子の協力が必要だ」

 この言葉を揚げ足取りの好機と見たのか、美代子は反応した。

「なんで話を蒸し返すんや。お前はこの期におよんで、まだ未練があるんか」とA男に詰め寄り、ふたたび親族らを呼び出しての会議を強要するようになったのだ。

 この時期、A男と暮らしていた娘2人は冬休み中で、すっかり美代子に懐いていた子供たちは、「家に帰りたくない」と彼女のもとにいた。それが親族にとって、“人質”も同然の存在となり、会議への出席を拒むことはできなかった。

 美代子はどのようにして子供たちを手なずけるのか。A男・B子家のケースにおいての情報は「贅沢三昧」という曖昧な答えしか入ってこなかった。とはいえ、優太郎(編集部注:美代子の息子)と瑠衣(編集部注:優太郎の妻。美代子の後継者として実の母や姉に暴行や殺人を行った)の間に生まれた2人の子供を預かったことのある人物は、そのときの記憶を次のように語っている。