そして、あの8番目の事件も…
犯行の動機については被害者にその責任を転嫁したと伝えられた。プロファイラーのひとりは、軍隊で機甲部隊に所属した際、「戦車に乗って先頭を走ると自分の後ろを他の戦車がついてくるのを見て心が沸き立った」と興奮ぎみに話したことをあげて、「軍生活を終えて単調でひまな(無聊な)生活がストレスになったのではないか」とも分析している。
91年頃、イは華城市を出て、隣接する忠清道の忠州市に移り住んだ。建設会社でフォークリフトの運転士として働き、そこで知り合った女性と結婚。一児をもうけたが、家庭内暴力が酷く、妻と子どもは家を出ている。妻は後にイの「性的倒錯」についても語っていたという。イはこの忠州市でも2件の殺人を犯している。
イの近所や同級生、軍隊での評判はとてもいい。近所では「はきはきと挨拶するいい子」として知られ、同級生や軍隊時代には「おとなしくて優しかった」と認められている。
前妻の実家でも好意的に受け入れられており、義理の妹を殺害後にも前妻の実家を訪ねて、帰宅しない娘を心配する義父を慰め、警察へ連れだって失踪届を出したという。さらに、服役していた釜山刑務所でも「問題を起こしたこともない模範囚」だった。前出イ・スジョン教授の話を引こう。
「イ・チュンジェは性的な欲望とつながりがなければ温順な人物。まず性暴行が目的で、性暴行を犯した後に殺人まで至るケースです。犯罪者も一般的な思考は普通の人とひとつもかわりません。ただ、自分が関心を持つ部分において異常な形で反応するということです」
イは手足を縛るなど同じ手法を繰り返していた。これについては、「逮捕される可能性が高くなることは分かっていても、必ずそれをしないと欲望から解放されないのでやってしまう」と分析している。
そして、イの一連の自白はまた別の“激震”をもたらした。華城市で起きた10件の犯行はすべて自分がやったと認め、さらに、8番目の事件で犯人が逮捕された89年7月には小学生(当時8歳)を性的暴行し殺害したことも自白したのだ。