東京地検特捜部在籍が長いことから「特捜の鬼」と呼ばれ、造船疑獄の主任だった河井信太郎検事は1954年11月の衆院決算委員会で次のように述べた。
いわゆる造船事件と申しますのは、昭和28年(1953年)8月28日に森脇将光という者から東京地検にあてて、志賀米平、猪股功(国鉄と関係の深かった日本特殊産業社長)という両名に詐欺横領背任の告発が提起されたのであります。…
この詐欺横領の被害事実の被害品の中に、山下汽船振出しの1000万円の手形が2通入っておって、これが被害物件であるということが明らかになって参りましたので、何ゆえに山下汽船がこのような手形を振り出したのであろうか、捜査の常道といたしまして当然この点の捜査をしなければならなかったのであります。…
その結果山下汽船におきましては、猪股功に対して合計約1億8500万円に達する貸出しをしておるという事実が明らかになり、これに対しては、そのうち証拠の明らかな1億3500万円に対して特別背任の起訴をいたすようになったのであります。…
それでは船会社がなぜこのような金が必要であろうか、何ゆえにかような手形振出しを行ったか、会社の事業内容はどのようであろうかということを取調べて参るためには、日本の海運界の状況を一応明らかにしなければならないという立場に立ち至りまして……(「国会会議録」)
メモにピンときた検事のカン
室伏哲郎「汚職の構造」によれば、1953年9月28日、森脇は事情聴取のため、東京地検に出頭。河井検事にメモを提出した。
中でも、山下汽船の2000万円の手形が「計数に明るい元海軍主計大尉の河井信太郎検事にピンときたのだった。山下汽船のような一流会社であれば、メーンバンクが必ず資金手当てをするはずであり、その銀行が面倒を見ないような手形が振り出されていること自体がクサいというカンである」と同書は書いている。以後、事件捜査は森脇メモをベースに進められていく。
最初は小さな記事にすぎなかった
年が明けた1954年1月8日の各紙夕刊社会面の記事が造船疑獄捜査の始まりを告げた。毎日は4段、朝日3段、読売2段の扱い。比較的詳しい読売を見よう。
山下汽船重役ら逮捕 一億数千万円貸付け回収不能
東京地検特捜部では7日夜、東京都千代田区丸の内2ノ4,山下汽船専務・吉田二郎(54)、同常任監査役・菅朝太郎(53)の両名を特別背任の疑いで逮捕した。調べによると、昨年暮れ、両名は共謀して1億数千万円の山下汽船の金を、自社と無関係の日本特殊産業会社(社長・猪股功氏)に貸し付け、回収不能となったもの。なお、同時に静岡市内、日本海運株式会社社長・塩次鉄雄(46)を特別背任容疑で逮捕した。塩次は昨年7月、吉田、菅と同様、会社の金3350万円を日本特殊産業に貸し付け、回収不能となったもので、猪俣氏は昨年末、特別背任罪並びに詐欺罪で同地検から起訴されている。
おおよその筋立てが見えるが、まだ政界、官界に広がる疑獄になるとは予想されていなかったことも分かる。だから2段記事なのだろう。3段の朝日の記事の末尾には「会社の役員が、自分や第三者の利益のためか、会社に損害を与える目的で、任務に背いて会社に損害を与えるもの」という「特別背任罪とは」の説明が付いている。