そして、「(殺人事件で)証拠隠滅もしなかったのですぐに警察がくるだろうと思っていたら来なかった。どうして捜査線上に自分の名前が挙がらなかったのか不思議だった」と話し、「ちゃんと捜査していたら(自分のところに)来たはず。見せるだけのための捜査だったのではないか」と批判までしている。
実は、イはこの事件を含めて3回ほど警察の尋問を受けていた。しかし、いずれも証拠不十分とされ取り調べられることはなかった。イがO型だったため除外されたといわれる。
当時の鑑定結果はねつ造か? 31年目の無罪確定
法廷でのイの証言からひと月経った同年12月17日、ユン氏に無罪が言い渡された(検察は控訴せず24日、無罪が正式に確定)。事件から31年目のことだった。
当時、ユン氏を逮捕した警察官と起訴した検事、DNA鑑定を行った科捜研の人物は検察に送致されたが、いずれも事実関係を否認した。時効が過ぎているため「公訴権なし」として処理されている。
ユン氏が逮捕された際に用いられたDNA鑑定は「放射性同位元素鑑定法」で、そもそも不確かな鑑定方法だったことが明らかになっている。これは、サンプルに放射線をあてて各成分の含量を測定した後、他のサンプルとの同一性を確認するもので、当時これを採用するところは海外でもほとんどなかった。韓国でもこの8番目の事件以外では使われておらず、研究所内でも使用に反対する声が大半だったが、担当者が押し切ったという。
また、鑑定された陰毛がユン氏のものではなかったという話も出ている。この話が本当であれば、結果を焦った警察がねつ造したことになる。
この時に警察がまっとうな捜査をし、イを逮捕できていれば、自白で新たに発覚したものも含めた7件もの殺人事件や性的暴行事件は防げていた。
イは94年に起こした義理の妹の殺害事件では証拠隠滅を図っていた。被害者の頭をハンマーで殴った際(この後絞殺)床などについた被害者の血痕を丁寧に拭き取っていたという。しかし、洗濯機の下にあったほんのわずかな血痕が逮捕につながった。
もし、この事件でイが逮捕されていなければ、殺人犯は今も野に放たれたまま。華城連続殺人事件が解決することもなく、ユン氏はえん罪の汚名を生涯背負わなければならなかった。
ユン氏は再審を請求した心情をこう語っている。
「人としての名誉を取り戻したい。ユン・ソンヨという名前を取り戻したい」(KBSドキュメンタリー『ソンヨ』)
ユン氏は3歳の時に小児麻痺を発症し、幼い頃から脚が不自由だった。小学3年生の時に母親が交通事故で亡くなると、父親は家を出ていったまま戻らなかった。姉や弟はみな親戚の家にばらばらになった。ユン氏は叔父の家で暮すことになったが、従兄弟が学校に通う間、田畑の草刈りに出かけたという。中学校には通っていない。