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「カネもなく、後ろ盾もなく、力もなく」

 ドキュメンタリーのプロデューサーが「どうしてあなたが逮捕されたと思いますか?」と問うとこう答えた。

「カネもなく、後ろ盾もなく、力もなく、持っているものもなく、無学だから、目をつけたんじゃないかなあ、警察は」

 警察だけではなかった。最初の裁判に国選弁護士は現れなかった。二審で現れた別の国選弁護士に無実を訴えたが供述書にも目を通すこともなく、法廷では「障害者だから減刑してほしい」と繰り返したという。

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 刑務所でのユン氏のあだ名は「無罪(ムジェ)」だった。

「私はやっていない、無罪です、何度もそう言っていたので、いつの間にか、『おい、無罪』と呼ばれるようになった」(KBSドキュメンタリー『ソンヨ』)。

 刑務官の中にはユン氏の生真面目な生活態度などから犯人ではないのではないかと思った人もいた。この刑務官は出所後の働き場所を紹介し、無罪を勝ちとった法廷で、裁判が終わった後にユン氏と抱擁し喜ぶ姿がテレビに映し出されている。

 時は流れて、桑田碧海。

『殺人の追憶』の始まりとなった稲穂の姿は、今の華城市ではほとんど見られない光景となった。住宅不足から華城市も開発が進み、今現在広がるのは高層マンション群の波だ。イの実家は畑を売り数十億ウォン(数億円)を手にしていることが報じられている。

殺人の追憶

「華城連続殺人事件」は「イ・チュンジェ連続殺人事件」と名を変えた。しかし、イは犯罪を自白しても時効成立によりその罪は法で裁かれることはない。今も刑務所で以前と変わらない日々を送っている。『殺人の追憶』は刑務所で見たそうで、イがもっとも気にしていたのは自分の健康と収監生活だったという。

 イのことを恨んでいるか、ドキュメンタリーでこう訊かれたユン氏はこう答えた。

 「恨んでも歳月は戻せない」

 そして、まるで自分のことのようだとこんな歌詞を繰り返した。

「時計は故障すれば止まってしまうが、歳月は止まらない」