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連載昭和事件史

「骨まで切れない」「関節を外せ」荒川で発見されたバラバラ死体…“夫を殺す以外にない”追い込まれた妻の復讐

「骨まで切れない」「関節を外せ」荒川で発見されたバラバラ死体…“夫を殺す以外にない”追い込まれた妻の復讐

被害者が警察官、加害者が妻の教師 「荒川放水路バラバラ事件」 #2

2021/05/16
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「酒乱の夫に女の復讐」「ああ、断末魔のあの眼」「慄えつつ夫の首にナタ!」

 5月18日付朝刊は各紙一斉に、冨美子の全面自供と事件のほぼ解決を伝えた。「バラバラ事件一挙に解決へ “私が絞め殺した”」(朝日)、「惨劇はかく行われた 酒乱の夫に女の復讐」(毎日)、「バラバラはこうして行われた 母も共犯で逮捕」(読売)。朝日の記事の書き出しは――。

 さる10日、荒川放水路の日の丸プールに漂着した胴体の発見に始まったバラバラ事件は、16日逮捕された被害者、伊藤忠夫巡査の内妻、宇野冨美子(26)が、17日正午に至って「私が夫を絞め殺した。母と死体をバラバラにして川に投げた」と犯行の一切を自供したことによって、発生以来8日目にして一挙に解決した。

 

 捜査本部は同日(17日)午後3時半、冨美子の自供により母しず(51)を自宅で緊急逮捕。西新井署に連行して、冨美子と同じ罪状の殺人、死体遺棄損壊容疑の逮捕状を執行した。

報道はエスカレートした(毎日)

 冨美子の自供に基づいて犯行の模様を書いた記事の見出しはおどろおどろしい。「ああ、断末魔のあの眼」「慄(ふる)えつつ夫の首にナタ!」(毎日)、「金ダライに血三寸! 女手二人で二時間がかり」。

 冨美子と鹿の人となりについての“評価”も「きらいな人には 一年間もそっぽ 愛されぬ冷い冨美子」「ブタも密殺した 勝気で逆上性のしず子」(読売)とさんざん。毎日は17日付夕刊でも「冨美子の心理を解剖」の記事で精神科医の式場隆三郎らに「血に狂った復讐心 露呈された女の特有心理」などと語らせている。

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「自分が生きるただ一つの道は、夫を殺す以外にはない」

 冨美子の自供内容については、「警視庁史 昭和中編(上)」の記述を要約しよう。

 冨美子はかつて大阪の小学校で同僚の男性教師に愛情を寄せ、結婚を求めたが、相手に結婚の意思がなく拒絶された(新聞が書いた「“大阪の情夫”とは彼のことのようだ)。その衝撃で性格が変わってしまった。

 それでも何とか幸福をつかみたいという気持ちが強まったところに、叔母の義理の息子の伊藤忠夫が現れた。警察官という身分に安心感があり、結婚すれば母と弟を同居させて面倒を見るという条件でもあったので、生活が楽になるという期待もあり、上京して1951年4月に結婚した。

 しかし、期待は数カ月で裏切られた。性格が合わなかったうえ、夫は素行がおさまらず、酒浸りで給料は半分しか渡さず、しばしば外泊。夫婦の間は冷たくなるばかりだった。こんなありさまで一生苦労するのかと思い、別れ話を切り出したが、忠夫は「そんなことを言うなら殺してやる」と脅した。冨美子の夫に対する憎悪は募るばかりだった。

 そんな5月7日、午後10時から勤務の予定なのに、夫は午後9時ごろ、制服に着替えることもできないほど深酔いして帰宅した。「どこでそんなに飲んできたの」と責めると「どこで飲んでこようと俺の勝手だ。生意気言うな」と怒鳴り、殴る蹴るの暴力。我慢してその場を収め「今晩は休みなさい」と言い、電話で休暇届を出して寝かせた。

 その後、勝手で洗い物をしながら、これまでのこと、今夜の忠夫の仕打ちや将来のことを思い浮かべ、暗い気持ちに胸を締め付けられた。そしてついに「自分が生きるただ一つの道は、夫を殺す以外にはない」と決心した。