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連載昭和事件史

2021/05/16

警察機関誌ヒントに警棒を使って…

 午前1時ごろ、隣室で母と弟が寝込んだのを確かめ、かつて警視庁機関誌「自警」で読んだ記事をヒントに、細い麻ひもを4本束ねてその一端を巡査の装備品の警棒に結び付けた。警棒を雨戸の外に出して、雨戸を閉めて支えにし、窓際に寝ていた忠夫の首に麻ひもを一巻き。綱引きをするように力いっぱい締め付けた。夫は瞬間「痛い」とかすかにうめいただけで、すぐに動かなくなった。

 冨美子は思わず合掌してしばらく放心状態だったが、やがて隣室に寝ている母を揺り起こし、夫を殺してしまったことを話した。母ははじめは本気にしなかったが、忠夫の死体を見てびっくりし「どうしてこんなことを……」と顔を背けた。

 二人は言葉もなくその場に泣き崩れた。鹿は一瞬、冨美子を自首させようと思ったが、「何とかして冨美子を助けたい」という母親の盲目的な愛情がその決心を鈍らせた。

 死体を戸外に担ぎ出し、深酔いして何者かに殺されたように偽装することにし、ためらう冨美子を促して二人で死体を動かしてみた。大の男の死体を階下の人に気づかれずに2階から運び出すことは不可能と知り、結局、死体を切断して捨てることにした。

 その夜は死体を竹行李に入れて押し入れに隠し、翌8日朝、鹿はナタ、出刃包丁、油紙、麻ひもを買い集めた。冨美子は普段通り出勤して教壇に立ち、死体を運ぶための自転車を学校から借りて帰った。

 夕刻、弟を新宿の兄の家に遊びにやり、午後7時ごろ、血を受けるための洗面器をたらいの中に入れ、その上に死体を入れた行李を乗せた。二人で出刃包丁を使って両足を切断し、腕、首と次々に切り離して紙包みにし、2時間足らずで処理した。

犯行現場の4畳間(「自警」より)

「だめだわ。骨までは切れない」「関節を外さなければ」

「月刊警察」連載の大林茂喜「荒川放水路バラバラ事件」はこの部分をさらに詳しく書いている。

 まず手近な死体の左足に包丁が向いた。ももの付け根に刃先を置くと、のこぎりを引くようにギザギザと切った。手先が小刻みに震えた。包丁の刃が骨に深く突き当たった。あとは動かない。「だめだわ。骨までは切れないわ」。不安げにシカを見上げる。「関節を外さなければ骨は離れないよ。包丁をお貸しよ。こうするのだ」。シカは言い、冨美子に代わって左の腕を持った。シカは関節の外し方を知っていた。北海道の実家で養豚や養鶏の解体を子どもながらに手伝わされたことがある。

 

 包丁で左腕の付け根を切り開き、器用な手さばきで骨の関節を上手に外してみせた。

 

 包丁で切りつけるとき、片手で胸を押さえて切るわけだが、死体の脂で手元がツルツルと滑ってしまい、なかなかはかどらない。そこで胸に麻縄を巻き、その縄を握り締めながら、次に右腕、そして左足、右足の順に切り落としていった。

 

 最後は首だ。汗びっしょり。冨美子の額から首筋にかけて、玉の汗がしたたり落ちる。吐息しながら汗をぬぐうと、二人の目は一つの首に吸い付いた。死体の頭を重たげに持ち上げる。首には関節がない。包丁をナタに代えて振り上げた。さすがに震えがとまらない。「駄目だよ。そのまま打ち下ろしたら、音がして下の家に聞こえるよ。ナタの頭にボロきれを置きな。その上を金づちでたたくのだ」。シカは強気に目をつり上げて言う。ドスン、ドスン。わずかながら金づちが鈍い音を立てる。ようやく首が体から離れて落ちた。ドス黒く流れる血を洗面器が吸い込む。終わって冨美子は肩で息をした。