連綿と続く系譜…バラバラ殺人は増えている?
毎日は事件発生第一報の5月10日付朝刊で「警視庁では昭和7年以来20年ぶりの猟奇バラバラ殺人事件」と書いた。これは「昭和の35大事件」で取り上げた「玉ノ井バラバラ事件」(1932年)のこと。玉ノ井遊郭に近い「お歯黒どぶ」でバラバラの男性遺体が見つかり、兄弟が怠け者で乱暴な同居人を殺害、解体したことが判明して逮捕された。それ以来だという意味だ。
朝日と毎日は、それに加えて1934年の「隅田川コマ切れ事件」を挙げている。これは刑務所を出所直後の青年が金目的でおでん屋夫婦を殺害。“コマ切れ”に。どちらも猟奇事件として世間を騒がせた。
人を殺してバラバラにした事件の始まりは、1919年に起きた「鈴弁殺し」といわれている。東京帝大(現東大)出のエリート官僚が、金のもつれから大学の後輩と一緒にコメ輸入業者を殺害。死体をバラバラにして後輩らに信濃川に捨てさせた。
だが、「バラバラ」という名称が付いた事件は「玉ノ井」が初めてで、東京朝日新聞が1932年3月8日付夕刊に「首と手足バラバラ 男の慘(惨)死體(体)現る けさ寺島の溝から」と見出しを付けたのが広まったとされる。
以後もバラバラ事件は連綿と続く。
「警察学論集」第52巻第12号(1999年)と第53巻第1号(2000年)には警察庁科学捜査研究所の渡邉和美・防犯少年部環境研究室研究員と田村雅幸・防犯少年部長の「バラバラ殺人の犯人像」という研究論文が載っている。
それによれば、戦後の約50年間にバラバラ殺人の捜査本部事件は120件。1947年から1956年の10年間は4件だったが、1987~1996年には51件に増加。その後も同レベルの頻度で続いているという。
地域的には大都市圏の発生が多く、全体のほぼ半数が東京を含めた関東地区が占める。切断行為を加えられた被害者は126人で男性51人に対し女性は72人(性別不明3人)。逆に加害者は94%が男性で、女性が主犯の事件は5件のみという。遺棄方法は「水中に投棄」が全体の3割で、殺害手段は絞殺が4割。殺害動機は「男女間のトラブル」が最も多く、全体の4割を占めた。加害者が被害者と面識があったケースは全体の8割だが、知人関係にある者の間が多く、親族間の事件は少ない。
バラバラ事件は、被害者の身元が判明すれば、加害者にたどりつくのは難しくないといわれてきたが、加害者、被害者の関係はより希薄な方向へ変化しているという。この荒川放水路の場合はやはり珍しい部類に入るようだ。