「哀れな姿だったな、とても、母は」
「お母さまや邦子さんのことを思うと、冷静ではいられないこともありますか」
私が訊ねると、
「うーん、そうね。冷静でね……、うん、そうね……」
しばし目を閉じて黙り込み、掌を何度も何度も組み替えた。
「いくつになってもね、やはり感情が高ぶるもんですよ。こんな老人になっても感情が高ぶる。でも、その宥め方も随分とうまくなった」
清二はふっと笑ったが、どこか自分の言葉を信じていない自嘲の響きがあった。
幼き日、康次郎の事業の先行きが定まらぬまま、操、清二、邦子の母子3人は、三鷹でひっそりと生活していた。二間しかない小さな小さな家だった。生活の唯一の拠り所である康次郎からの送金が途絶えることもあり、清二が毎日持って行く弁当のおかずにさえ事欠くことがあったほどだった。
「母を思い出す時、なぜだか三鷹に住んでいた頃の母ばかりなんですね。後年、生活も安定し、うち(西武百貨店)が独占契約を結んでいたから、本人は広告のつもりでシャネルのスーツなんかを着てくれていたけれど、不思議といつも浮かぶのは三鷹の頃の母なんです、不思議ですが。貧しかったのにね」
フッと息を吐くと、しばし惚けたような表情を見せた。いつもの鋭角的な眼光は消え鈍い黒さが逆に生々しかった。
「どんな姿のお母様なんですか?」
「そうね」
堤は再び右手でほおづえをつき、視線を合わそうとしない。
「そうね。こう」
ほおづえを解いて、両手で虚空をつかむように気ぜわしく動かした。
「こう。何と言うのか、ほつれているというか、ほったらかしの櫛も入れていないような……、身ぎれいな母だったのに……。可哀想に髪の手入れもできないような姿で……。哀れな姿だったな、とても、母は」
目から涙が溢れた。清二は泣いていた。静かに声も立てずに泣いていた。85歳の“子供”は流れる涙を拭うこともなかった。涙で潤んだ目がまっすぐにこちらを見つめていた。