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「怪獣」ではなく「飛行機」だった?! “特撮の神様”円谷英二が死の直前まで心血を注ぎ続けた“幻”の企画とは

『「帰ってきたウルトラマン」の復活』より #1

2021/06/11
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 これは……

 日本民間航空の揺籃期に、飛行機に憑かれた青年たちが、未知の大空に鳥の如く羽ばたかんとして、悪戦苦闘した笑いと涙の航空秘話である。

(1)企画意図

 彼等は、自ら「空の野武士」と名乗った。日本民間航空の夜明けに、命知らず、道楽者、ヤクザ者、山師などと罵られながら、大空に憧れ、飛行機に憑かれ、開拓的情熱を燃やした青年、つまり日本のヒコーキ野郎たちがあった。

 彼等は、国家の援助もなく、自らの血と汗で飛行機を開発し、生命を賭して操縦を習い、明日の日本の空を開くために悪戦苦闘したのである。

 航空が今日あることを信じた彼等が、暗中模索しながら、田畑を家を売り払い、日本の空に築き上げたパイオニアとしての虹は、現在の驚異的な航空機の発展に貢献し、光り輝いているのである。 

 これは、彼等「空の野武士」たちが、努力と活躍のうちに演じた珍談、奇談の数々を、時に喜劇的に、時に悲劇的に、フィクション・ドラマとしてつづり、日本の民間飛行家たちが、日本の空を征服するに至る楽しくも雄大な歴史をドラマ化するものである。

 明治100年を記念し、50年前のそうした空の開拓史を描くことは、宇宙開拓の認識をたかめるためにも、また、現在70才を過ぎた過去の空の野武士たちの功績をたたえるためにも意義あることだと思う。

 先覚者たちの、限りない努力と犠牲の結晶として、今日の航空界の隆盛があるのだから……

 以下、ドラマの設定と展開、主な登場人物紹介、前半何話分かは不明だが、かなり詳細な具体的ストーリーが書かれていて、他に3本のエピソードも紹介されている。具体的ストーリーを読む限り、円谷プロが得意の特撮を活かしつつ(*8)、本格的ドラマを目指した意欲作で、かつてパイロットを目指した円谷英二の思いがそのまま反映されている印象がある。

*8 飛行シーン、台風などの特撮シーンがある。

飛行機に憧れた円谷英二の少年時代

 1910(明治43)年、9歳だった英一少年は、東京の代々木練兵場で行われた徳川好大尉と日野熊蔵大尉による日本初の公式飛行のニュースを聞き、飛行機に強い憧れを持つようになる。

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 6年後の1916(大正5)年3月25日、14歳になった英一は、須賀川町立第一尋常小学校尋常科8年の課程を終えた。その翌月、4月8日から10日までの3日間、アメリカから来日した曲芸飛行士のアート・スミスが青山外苑でカーチス複葉機による曲芸飛行を行った。当時の愛読誌『飛行界』に掲載されたスミスの小特集は、英一の航空界への憧れをますます強固なものにしたのだ。そして11月22日、就職のため上京していた英一は、夢を叶えるため、民間航空のパイオニア、玉井清太郎の紹介で、8月に開校したばかりの日本飛行機学校に所属したのである(*9)

*9 翌17年5月20日、玉井は自作機(玉井式3号機)による帝都訪問飛行を挙行するが、事故で墜落、帰らぬ人となる。この事故の影響で、日本飛行機学校は閉鎖に追い込まれた。