1ページ目から読む
4/5ページ目

 『日本ヒコーキ野郎』主人公の名前は白井音吉、これは日本航空界のパイオニア、奈良原三次男爵の弟子であった白戸栄之助、伊藤音次郎の2人を合わせたネーミングであり、後者は番組の監修者として企画書で紹介されている。奈良原自身は、奈良木男爵として、そして円谷英二の教官だった玉井清太郎は玉井清一として登場する予定だった。

「円谷プロはもうおしまいだ」と公言する局員

 組織の変革が行われる直前、企画書が作られてから半年以上経った11月29日の英二の日記にも『日本ヒコーキ野郎』は登場する。以下、採録する。

 11月29日金曜日 天候晴 今夜TBSに行き樋口、橋本両氏と私と守田君が会議協議をする。プロに対する一般批判ののち新企画が望み薄との話 覚悟はしていたがいささかガッカリする。然し新企画については、一縷の希望ある話も出来そうでもある。そのひとつは「サスケ」(*10)の後番組の30分もので これは至急企画を作って提出する。今ひとつはやはり「日本ヒコーキ野郎」これには、局も相当の気がまえらしい。もひとつは、やはり戦記ものである。この3本の番組みが這入れば誠に結構である。しかしプロには何かやはりマーチャンのつくものが1本は是非欲しいものだ

*10 白土三平原作のアニメ。68年9月3日~69年3月25日。

ADVERTISEMENT

 樋口とはTBS映画部出身(*11)で『ウルトラマン』では「恐怖のルート87」や「まぼろしの雪山」(*12)の監督だった樋口祐三、守田とは『怪奇大作戦』の円谷プロ側プロデューサーで、この頃は同プロ支配人だった守田康司である。つまり『怪奇大作戦』の後番組の受注は望み薄で、別の枠(『サスケ』の後番組)の新企画を作れば検討してもよい、とTBSから通告されているのである。『日本ヒコーキ野郎』についてTBS側は意欲的な態度を表明したようだが、これはリップサービスであった可能性が高い。

*11 TBSが本格的に国産テレビ映画を制作するため設立した部署。63年2月、映画制作課として発足、71年3月22日廃止。
*12 「恐怖のルート87」第20話、「まぼろしの雪山」第30話、ともに脚本・金城哲夫、特殊技術・高野宏一。

 この時期、円谷プロは怪獣ブームの終焉、『マイティジャック』の失敗、『怪奇大作戦』の終了決定(*13)、累積赤字等々、逆風が吹きまくっていた。TBS内部には「円谷プロはもうおしまいだ」と公言する局員までいたという。そうした状況から考え、局内における同プロの信用は極度に低下していたと言っていいだろう。

*13 『怪奇大作戦』が2クールで終了することが決まったのは68年10月。