陸上競技短距離の山縣亮太選手が、6月6日に行われた布勢スプリント男子100mで9秒95を記録しました。この記録は2019年にサニブラウン・ハキーム選手が記録した9秒97を0秒02縮める日本新記録。五輪本番でも決勝進出レベルのタイムを叩き出しました。
産経新聞運動部で長年日本の短距離界を追い続けている宝田将志記者が、2016年のリオ五輪後に代表スプリンターたちの素顔に迫った『四継 2016リオ五輪、彼らの真実』(文藝春秋)の一部を抜粋し、そんな山縣選手の「原点」に迫ります(※日付、年齢、肩書きなどは当時のまま)。(全2回の1回目/後編を読む)
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大学卒業後に陸上部がないセイコーに入社したワケ
東京・銀座4丁目に建つ和光。2015年4月2日、山縣亮太のセイコーホールディングス入社式が、この屋上で報道陣に公開された。
和光もセイコーホールディングスも前身は、1881(明治4)年に服部金太郎が創業した服部時計店である。屋上にそびえる時計塔、「SEIKO」の文字が晴天に映えていた。
そのすぐ目の前でこの日の主役は真新しい紺色のスーツに身を包み、口元を引き締めた。
「学生の頃よりも責任感を持って、結果にこだわっていきたいと思います」
アスリートとしての社会人生活が始まった。
12年ロンドン五輪代表。桐生よりも、ケンブリッジよりも先に「将来のエース」と期待を集めたのは山縣だった。
日本人初の9秒台は「早く自分が出したい」と、ずっと思っている。大学卒業後も競技を続けていくのは、10秒の壁を破り、世界大会での決勝進出を目指すためだ。
ただ、山縣が他のトップ選手と少し異なるのは、所属することになったセイコーホールディングスに肝心の陸上部がないということだ。陸上競技の場合、有力選手は実業団に進むのが一般的である。駅伝チームを編成する長距離種目と比べ、短距離は企業の受け皿が大きくない。それでもミズノ、富士通、大阪ガス、住友電工などは態勢が整っている。
選手の採用は大きく分けて2パターンある。正社員か、嘱託社員や契約社員か。例えば、富士通で言えば、高瀬らは前者だ。出勤する曜日が決められており、その日は昼間、オフィスで仕事をしてから練習となる。引退後は各企業に残ることができる。後者は高平や塚原。特定の出社日はなく、フルタイムで競技に専念できる一方で、セカンドキャリアは自ら築く必要がある。
山縣の場合はどうか。正社員としての採用だが、出勤は月に1日。基本的には自由にトレーニングでき、スポーツメーカー「ナイキ」からもサポートを受ける。しかし、チームの専属トレーナーはいないし、同じ所属のメンバーで合同合宿を行える訳でもない。