昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「あなたの年齢で勤められるのは介護職くらいでしょうね」 年下の入居者を介護する国立大卒男性(70)の“胸の内”

『非正規介護職員ヨボヨボ日記――当年60歳、排泄も入浴もお世話させていただきます』より #1

2021/06/23

食事前のお口の体操

 深沢さんはとても親切だった。頼みもしないのに毎回、試験問題をみんなの分まで作り、ラミネート加工したものを配ってくれた。以前の仕事の関係でコーティング用の機械と材料が手元にあったのだという。

 彼のおかげでとても楽をしたが、なぜか彼はケアレスミスが多く、4人の中でいつもテストの点数が最下位で、どうにも気まずかったことを思い出す。

 ただ、彼はまったく気にするそぶりもなく、「次こそ僕が一番になるよ」と前向きだった。

 こんな人柄だから、70歳という年齢でも新たなチャレンジをするのだと感心したものだ。

 学校のカリキュラムの7割が介助の作業。つまり体の不自由な被介護者の身体を起こし、着替えを手伝い、オムツを替え、食事を与え、トイレ介助する、この一連の動作の訓練(*3)。その繰り返し。

*3 4名しか受講生がいないので、訓練の際、交代でオムツをつけたり、つけられたりした。20代の女性にオムツをつける際はさすがに神経を使った。深沢さんはお構いなしに彼女の足や腰に触れるため、彼女も複雑な表情をしていた。

写真はイメージです ©iStock.com

「パタカラ」をご存じだろうか。私も研修を受けて初めて知った。

 食事の前、口を大きく開き、この言葉を被介護者に繰り返し言わせる。すると唾液が出て誤嚥を防ぎ、食事がとりやすくなるという口腔体操(*4)のようなものである。

*4 現場に入ってわかったが、この体操は入居者には人気がない。それはパタカラに意味や面白味がないからではないか。それならむしろ、「バカヤロー」「真山のハゲ」などと入居者のうっぷんを大声で怒鳴らせたほうがまだ有効のような気がする。

 4名が交替で介護される側を演じ介助をするのだが、深沢さんに「パタカラ」を発声させると必ず女性2人は噴き出してしまう。

 彼はなぜか「パタカラ」と発音できないのだ。私も笑いをこらえるのに苦労した。

 先生方にも驚いた。認知症者介護の研修で、元看護師の60代の女性が演じる認知症の姿はすさまじかった。とても演技と思えない迫真さだ。完全に目がイッているし、体全体がトコロテン並みに弛緩しているのだ。

 ほかにもみんなが口を揃えて介護のプロと称賛する、やはり60代後半の女性がいた。華奢な体つきにもかかわらず、私でも手こずる80キロの深沢さんをベッドからひょいと起こし、すばやく移動させ、いとも簡単に横にする。まるで手品でも見ているようだった。彼女曰く「いつも体幹を鍛えているのよ」とのこと。

 実際、介護職員が仕事を辞める理由の一つに腰痛(*5)がある。それを防ぐ手段として、全身の筋肉を無理なく効率的に使う方法を長年の経験で体得していたようだ。

*5 ある調査では、腰痛で離職を考えたことがある介護職員が全体の約半分にのぼったという。施設の軒先にあった七夕飾りに「腰痛になりませんように」と書かれた短冊を見た。書いたのは当時68歳の大島施設長だった。