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セシウムさん事件、光市母子殺害事件弁護団、ヤクザ…ドキュメンタリーを撮り続けたテレビマンが明かす「『わかりやすさ』という病」

東海テレビゼネラルプロデューサー・阿武野勝彦氏インタビュー #1

2021/06/19
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2000年代ドキュメンタリーはなぜ「寄り添う」と言うようになったのか

阿武野 2000年代に入って、ドキュメンタリー番組は「寄り添う」と言うようになりました。テレビに向けられる世間の目が厳しくなったからだと思います。それで制作者たちが、視聴者に批判されたくなくて番組の冒頭のナレーションで「○○さんの1年に寄り添いました」と優し気な言葉を多用するようになった。あたかも、取材対象者の横で空気のような存在になって撮っています、迷惑をかけていません、と言い訳しているみたいです。

 取材という行為は、ほんとうは取材対象者を、時には激しく刺激することです。カメラを向けるとはそういうことですから。それなのに、あらかじめ問題となるような取材の仕方や放送を避けたいということになっていって、表面を“撫でる”ようなタイプの「寄り添う」というタイプが蔓延したのだと思います。

 誤解を恐れずに言いますが、心身に障害をもった人のドキュメンタリーがたくさん作られた時期がありました。題材に困ると、そこへ行くという感じで。私は、これは作り手の想像力が欠如していると思うんです。本当は、誰にでも人それぞれのその人の物語があるところから出発しないといけない。しかし、障害を持っているというマイナスの状況にある人がいて、その人が頑張って生きて、それを一生懸命助ける人がいるという物語の大量生産です。安易に題材にしてはいけないと思うんです。

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そうしたものを多く放送したことが、テレビに対する嫌悪や不信に続いていく道だったんじゃないかとさえ思っています。

「みんなと同じ方向から見たことを描くためにこの世界に入ったのか?」

――取材のあり方についていえば、「ヤクザと憲法」では暴力団事務所の取材中、警察のガサ入れが始まり、もめ始めて、ヤクザ・警察・取材班の三つ巴になります。警察の後ろをついていく「警察24時」などとはまるで違う、「押し入られるヤクザ側」からの“見慣れない”立ち位置で取材しています。

ヤクザと憲法 ©︎東海テレビ

阿武野 たった一人、他とは違う視点で世の中を見ようとするのはおっかないですよ。だけど「光と影」を作っているときのことですが、ノンフィクション作家の吉岡忍さんに会ったとき、「みんなと同じ方向から見たことを描くために、この世界に入ったんじゃないだろ?」と言われたんです。なんのためにこの仕事をやっているのか、そういうことは忘れてしまうものですが、はっと気づかせてもらえました。