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 その診察の様子をそばで見ていて、ああ、人間の最期はこのように進行していくんだと思いました。腎臓のような、それなしには生命維持ができないバイタルな器官の能力が少しずつ落ちていって、やがてその系がシステム崩壊する。それによって肉体全体が機能不全状態になる。それが死ぬということなんだなと思いました。そして数年前に、父親が最後の息を引き取る瞬間を目の前にしたことを思い出しました。喉仏のところが大きく上下に動いたかと思うと、グビッというような音を立てて呼吸が止まったのです。間もなく母親にあれと同じことが起こる日がやってくるのだろうし、それからそんなに遠くない日に、自分にもその日がやってくるのだろうと思いました。

 母親の腎臓の機能が失われつつあるといっても、もし人工透析をやるつもりがあれば、もっと生き延びられます。ただ、2日に1回くらいの頻度で病院に通い、人工透析機に半日ぐらい体をつないだままにしなければなりません。日本でも、そういう生活をしている人は30万人もいますが、母親はそれだけはいやだと言っています。「そのせいで寿命が縮まることになっても構わない」と言うのです。

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 うちの母親は頑固者で、しかしそれがどういうことを意味するか、いろいろ調べた上でそう言っているというのが分かっていますので、本人の望み通りにしてやろうと思っています。前から本人は、機械に体をしばりつけて生きるような生き方はしたくないと公言していました。彼女はクリスチャンですから、死ねば神さまの元に行けると思っているのでしょう。そういう意味で、俗人よりは死を怖がらないというか、生に執着しない側面があるのだろうと思います。

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 僕は俗人ですから、母親のように死んだら神様の元に行けるとか、死後の世界があるなどとはまったく思っていません。人間はどこかの段階で心臓が止まり、血流が止まったらすぐに意識を失い、そのままならあまり時間をおかずに脳が死ぬ。脳が死んだらほどなくして肉体も全面的で不可逆な機能停止状態、すなわち死を迎えるのだろうと思っています。

後編に続く

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