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 最高裁判所事務総局刑事局が1949年にまとめた「刑事裁判資料第30号 司法権の独立と議院の国政調査権」は、こうした国会と裁判所の間のトラブルに関する文書を収録している。それによれば、司法委の動きを知った最高裁は直ちに裁判官らが伊藤委員長と会見。「国会が国政調査権に基づいてかかる調査をすることは憲法上多大の疑義が存し、直ちに協力し難き旨を指摘したところ、同委員長においても、本件調査は司法権の独立との関係上、その取り扱いは極めて慎重たるを要することを了承した」という。

 両者の間には(1)裁判の当否については調査しない(2)裁判官を証人として喚問することはしない――などの了解が成立した。当時、委員会で取り上げることになったのは「尾津事件」など、まだ確定判決が出ていない5つの事件だった。

「親分子分」は“日本の旧来からの封建主義の体現”

 尾津事件とは、戦後、東京・新宿の闇市を仕切った関東尾津組組長・尾津喜之助が、土地所有者からの明け渡し要求を拒否して紛争となり、1947年7月、起訴された事件。他の4件と合わせて、裁判が迅速、公正に行われているかが問題とされた。

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 そして、その問題意識は、日本の占領統治に当たっていた連合国軍総司令部(GHQ)民政局(GS)の強い危機感から出たものだった。GSは尾津に代表される「親分―子分」の関係による支配を、日本の旧来からの封建主義の体現であり、政界をも動かしていると判断。特に尾津については、東京地裁での公判中、担当判事が体調悪化を理由に拘留執行を停止したことで、裁判所に不信感を抱いていた。

 当時は敗戦で「隠退蔵」された軍需物資が横流しされる事例も頻出。ジャスティン・ウィリアムズ「マッカーサーの政治改革」によれば、日本国憲法制定の中心ともなったGSのケーディス次長は、隠退蔵物資の問題と「親分子分制度」の撲滅に「十字軍的情熱を抱いていた」と書いている。実際にケーディス次長は法相や最高裁判事らと面談して注意喚起したほど。

 出口雄一「憲法秩序の変動と解釈の担い手―浦和事件と『憲法争議』」(「法律時報」2018年10月号所収)は、GHQが問題視したのは「これらの裁判が遅延し、アメリカ本国において占領政策への批判が強まることであった」としている。

 同年10月17日、伊藤委員長は松平恒雄・参院議長に「検察及び裁判の運営等に関する調査証人要求書」を提出したが、調査の目的についてこう述べている。

「裁判官、検察官の封建的観念及び現下日本の国際的国内的立場に対する時代的識見の有無、並びにこれら司法の民主的運営と能率的処罰を阻む残滓の存否を調査し、不当なものがあるときはその立法的対策を講じ、または最高機関たる国会の立場で司法部に対し、これを指摘、勧告するなど、適切な措置をとることを以って目的とする」

 司法に対して極めて挑戦的な態度だった。しかし、要請書の論理構成からみても、法務委員会や伊藤委員長の発想ばかりとは思えない雰囲気が感じられる。要求は直ちに承認されており、そうした方向性は、この時点では参院全体の共通認識だったと考えられる。