夫のギャンブルや酒が原因で妻子が生活の危機に陥り、それが犯罪につながることはいまもまれではない。しわ寄せはいつも弱者に向かう。

 ただ、いまから70年以上前に起きた、母親が3人の子どもが殺害した事件は、裁判で温情判決が確定したあと、国会と裁判所が本気でバトルをくり広げる「もと」になった。どうしてそんなことが? そこにはやはり、戦後3年の占領下、民主化の道を踏み出した日本の政治、社会状況が影を落としていた。そして、裁判員裁判が行われているいま、この事件はどのように受け止められるのだろうか――(今回も「差別語」が登場する)。

ひもで3人の子を次々と

 第1報はこれまで取り上げた中で最も扱いが小さい。埼玉県の地元紙・埼玉新聞1948年4月8日の社会面ベタ(1段)の記事だ。

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子ども3人殺しの第1報(埼玉新聞)

不身持の夫を苦に 三女を絞殺 死に切れぬ母、涙の自首

 北葛(飾郡)吉田村惣新田3114、浦和誠作さん方同居の無職語助さん(33)の妻女みつ子さん(30)は夫の不身持を苦にし、無理心中を覚悟し、6日の夕5時ごろ、夕げの支度の際、ネコイラズを水に溶かして、おかずのマスの切り身を煮て、長女初枝ちゃん(8)、次女けい子ちゃん(4)、3女早智子ちゃん(2)に食べさせ、自分も食べて床に就いた。8時ごろ、寝ていた長女の初枝ちゃんがうめき出したので、苦し紛れに暴れ出すのかと思って、傍らにあった細ひもで絞め、次いでけい子ちゃん、早智子ちゃんも背負いひもで絞殺し、夜の明けるのを待って7日午前5時ごろ、付近で自転車を借り、杉戸駅から東武電車で越谷町まで来て、昨年、夫語助さんが賭博で検挙されたとき差し入れに来て知っている越谷地区署へ午前7時半ごろ、自首した。

 

 同署では、安倍司法主任がいったん取り調べのうえ、南町・山田病院で手当を加えたが、診察室で蒼白な顔を表にさらして、うちしおれていた同女は次のように語るのだった。

 

 ちっとものぼせてはおりません。私のような境遇の者のことはほかの方には分からないと思います。夫は野田町方面にいるのかと思って方々探したがとうとう見つからず、同町にいる叔母にそれとなく最後の別れをしてきました。私たちは不幸な人間です。

 

 なお、ネコイラズは、叔母を訪ねていったとき、野田町の薬局で買ってきたものだと言っていた。

「不身持」は異性関係で身持ちが悪いという意味だから、誤用だろう。吉田村は現幸手市。記事中の容疑者は充子、次女は圭子、3女は幸子が正しい。ネコイラズとは殺鼠剤のこと。

 同じ日付の読売にも「母親、三児を絞殺」の見出しで載っているが、越谷発のベタ記事でわずか9行。当時、新聞はまだ朝刊のみ、原則2ページの時代のうえ、戦後の混乱期で事件、事故や自殺、心中が多かった。よくある「母子心中くずれ」の事件とみられたため、この程度の扱いだったのだろう。