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「これからどうして生きていこうか」

 4月4日夕刻、誠作から「あす必ず語助を連れてこなければ、家に置くわけにはいかない。語助を連れてくるか、そうでなければ、語助は賭博などの悪事をしているから、警察に届けてこい」と厳命された。

 翌4月5日、充子は3人の子どもを連れて野田町の語助に会い、誠作の言葉を伝えて、顔出しするか、家を探して自分たちを引き取ってくれるよう懇願したが、語助は充子に2000円(同約2万8000円)を渡しただけで、言を左右にして取り合わなかった。

 充子はその夜、野田町の旅館で子どもたちと一夜を過ごしたが、語助を連れて帰らない限り、誠作方で暮らすのは困難と思い、これからどうして生きていこうかと思案した。自活の道を講じるには、せめて語助になついている次女圭子だけでも引き取ってもらえば、幸子の世話は長女の初枝にゆだねられるから、どうにか暮らしを立てる働きもできるかもしれないと考えた。

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 そこで翌6日、野田町の街で語助を見つけ、圭子に姿を追わせたうえ、初枝、幸子を連れて野田町の叔母宅を訪れたところ、間もなく語助が現れ、圭子を突き返して去った。

 かくて、妻子を捨ててかえりみない態度の夫語助にもはや頼むすべもなく、3人の子どもを抱えて生活の見込みも立たない。将来に対する一切の希望を失い、このうえは子どもを道連れに心中するよりほかはないと考えるに至った。

 同日、叔母方からの帰り道、野田町で殺鼠剤と魚を三切れ買い求め、誠作方に帰った。「アンツー剤」(人間には害がないとされた)だったが、充子は毒薬だと思っていた。誠作は、充子が語助を連れ帰らなかったことに大いに立腹。充子はいよいよ絶望の念を強めた。

「いま自分が子どもたちと一緒に死んでしまえば…」

 午後6時ごろの夕食の際、充子は殺鼠剤を入れて煮付けた魚を一切れずつ初枝と圭子に与え、残りの一切れを幸子と一緒に自分も食べることにして心中を図った。しかし、幸子は、充子が魚を口に入れてやってもすぐ吐き出してしまった。一方、圭子は自分の分を食べたうえ、さらに欲しがってきかなかった。

 充子は、いま自分が子どもたちと一緒に死んでしまえば、子どもたちはろくに葬ってもらえないだろうと思い、先に子どもたちを殺し、後始末をしたうえで自分も後追い自殺をしようと考えた。圭子に自分と幸子の分の魚を与えた。

 結局、食べたのは初枝と圭子だけだったが、2人とも苦悶の表情など見せず午後8時ごろ、眠りについた。充子は3人の寝顔を見守っていたところ、初枝の顔色が幾分黒ずんできたように見え、間もなく足を布団の外に投げ出したので、これは毒が回って苦しみだすのではないかと考え、苦しませて悶死させるより、むしろ一思いに3人の首を絞めて殺してやろうと思い、帯を切り裂いて3本のひもを作った。

 まず、圭子の頸部に二重に巻き付けて緊縛し、窒息死させたうえ、初枝、幸子も同様にひもで次々殺害した。その後、子どもたちの服を着替えさせ、身辺を整え、翌朝自分も死ぬつもりで、殺鼠剤の入った魚の煮汁を飯にかけて食べ、毒が回る時間を見計らって警察に自首したと自供した。