豊田市駅の「かつての名前」
ちなみに、豊田市という地名は、もちろんトヨタ自動車からいただいたものだ。実は豊田市駅もかつてはまったく違う駅名だった。開業したのは1920年。トヨタ自動車のルーツである豊田自動織機製作所は1926年創業、同社内に自動車部が誕生したのは1933年のことだ。だから、トヨタ自動車など影も形もない時代に、いまの豊田市駅が誕生した。当時の駅名は、挙母(ころも)駅である。町の名前も、挙母であった。
さらに遡ると、この“挙母”といった一帯をはじめとする豊田市内は、松平氏(つまり徳川氏である)の発祥地・松平郷がある。江戸時代には挙母藩がおかれて、譜代大名の城下町としても栄えていたという。
近代に入ると木綿や生糸の産地として、つまりは繊維産業が盛んになった。どちらかというと軽工業や農業が中心の町だったのだ。それでも特産品もあって古くからの城下町ということで、1920年に鉄道がやってきたのであろう。
軽工業からトヨタの町へ
“挙母”にトヨタ自動車がやってきたのは1933年。広大な敷地の自動車工場が誕生し、そこから急速に自動車の町になってゆく。戦後の1951年に挙母市が誕生し、クラウン・コロナ・ダイナなどが世に出はじめていた1959年に豊田市に改称。挙母駅もほぼ同時に豊田市駅に改めている。以来、完全無欠の世界のトヨタのお膝元として発展し、いまに続く。
実は、というと怒られてしまうかもしれないが、豊田市は工業製造品出荷額において我が国で圧倒的なNo.1。2019年の工業統計調査によると、豊田市の出荷額は15兆円を軽く超えている。2位の市原市が4兆円台だから、No.1もNo.1。世界のトヨタの威力は明らかだ。
そしてそんな日本一の工業都市であることを背景に、豊田市の人口も名古屋市に次ぐ愛知県内No.2。まあ、名古屋市が200万人を超えていて豊田市は約42万人だからちょっと水は開けられているが、明らかに豊田市は愛知県第二の都市である。となれば、豊田市駅は愛知県No.2の大都市のターミナルということ。そりゃあ、賑やかな駅前に決まっていますよね……。
写真=鼠入昌史