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藤井聡太二冠が「史上最年少九段」に そもそも、将棋界では「九段」とはどんなポジションか

藤井聡太二冠が「史上最年少九段」に そもそも、将棋界では「九段」とはどんなポジションか

ヒューリック杯棋聖戦で棋聖を防衛

2021/07/05
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「名人に香を引いて勝った自分が並の棋士と同格か」

 そして、この新規約に反対したのが升田で、九段返上を申し出たという(これは「保留」という形で一応の解決をみた)。いわく「囲碁界に弱い九段がたくさんいるのを真似する必要がどこにあるのか。九段は本来名人の段だ」。

 升田の反対には「名人に香を引いて勝った自分が並の棋士と同格か」という不満もあったとされているが、歴史は繰り返すといったもので、この50年ほど前に同様のことが起きている。いわゆる阪田三吉の「名人僭称問題」だ。

 1925年に阪田は京阪神の財界有力者に推されて「名人」を名乗る。これは当時の東西の対抗意識が一つの要因とされているが、もう一つの要因は八段の増員にあった。

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 前述の通り、当時の棋界は名人を除くと八段が最高位であるが、1924年の東京将棋連盟創設時に八段の資格を持っていたのは阪田と土居の2人しかいなかった。だが東京将棋連盟の結成に貢献した木見金治郎、大崎熊雄、金易二郎、花田長太郎が褒賞として八段へ昇段し、このことに阪田は不満を持ったことが名人を名乗ることにつながったともされる。

 当時の八段には免状発行権があり、これが大きな収入源となっていた。八段とそれ以下の違いは、現在のA級とB級1組以下の差とは比較にならないほど大きかったと思われる。八段が増えることは自身の生活権の侵害でもあったのだ。

藤井の肩書が「九段」になる日はいつ来るのか

 その後、1984年に現在の勝ち星昇段規定が導入され、同時に30点規定は廃止された。相当に大きな制度改革だったと思うが、当時の将棋専門誌ではあまり触れられている様子がない。昭和59年版将棋年鑑にて「59年4月1日付で新昇段制度が制定された」と書かれているくらいである。

挑戦者の渡辺明名人も、かつて21歳7か月で九段に昇段していた 写真提供:日本将棋連盟

 また新昇段制度は九段昇段について以下のような一文があった。

「名人獲得は1期で九段を認め挑戦者はこれをタイトル1回と同様で扱う」。

 ただ、実際にタイトル2期+名人挑戦1回という実績で九段に昇段した棋士はいない。該当する棋士は数名いたが、それ以前に勝ち星規定で昇段している。直近では豊島将之竜王が通算タイトル2期の時に名人挑戦権を獲得したが(2019年3月1日)、その時点では九段に昇段していない。よって、上記の一文は現在では廃止されているものと考える。

©文藝春秋

 現在の九段昇段規定は、「竜王位2期獲得」「名人位1期獲得」「タイトル3期獲得」「八段昇段後公式戦250勝」の4つ。他に引退棋士や物故棋士に九段が贈られることがあるが、まず現役時代に八段へ到達している必要がある(現役時代に七段以下でのちに九段を贈られたのは山本武雄九段のみ)。

 現役のまま九段昇段を実現したのは、1954年の塚田から数えて藤井が66人目となる。だが、藤井の肩書が「九段」になる日は来るのかというと、現時点ではちょっと想像がつかない。九段の資格を得てから実際に名乗るまでの期間が最も長かったのは羽生善治九段の24年で、渡辺の16年(継続中)が続いているが、藤井はいつまでタイトルを持ち続けるだろうか。

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