オカルト番組を支えた大槻教授
制作者は、「霊視は事前調査によるもの」→「番組はやらせだ」という非難に対して「事前に教えることは絶対にない」→「番組はやらせではない」と反論し、「宜保さんが凡人がもち得ない力をもっていることは間違いない」と主張する。放送局(考査)は、「エンターテインメントとして、疑問符を残してほしい」という。つまり、「お遊び」「お座興程度」の〈信じられ方〉をするところにエンターテインメントとして番組が成立すると考えていると思われる。しかし、「霊能力があるかないかでなく、あることを前提に番組を作っている。科学ドキュメントとして見てほしい」という宜保特番の構成上、番組の内部に〈半信半疑〉を構築することは不可能である。宜保特番は、その内部に「疑問符を残して」いないにもかかわらず、エンターテインメントであり「社会に悪影響を及ぼしているとは思わない」と判断されたのは、外部に批判・バッシング(疑義)があることによって、オカルト番組のエンターテインメント性を支えてきた〈半信半疑〉が構築されたためと考えられる。つまり、大槻教授に代表される宜保愛子批判こそが、徹頭徹尾、宜保の霊能力を肯定・擁護できる状況を与えたと考えられるのである。
別言すれば、宜保特番は、霊能力があることを前提に、その霊能力で何かをするという企画が立てられた、かつてないオカルト番組へと発展したが、批判・バッシングによって、そのエンターテインメント性が保たれたという点で、従来のオカルト番組の延長線上に位置していた。
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