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2021/07/15

「負け犬か? ちがう!」「家畜じゃない!」

 だがそうした不安と裏腹に、映画『あさひなぐ』などで以前から乃木坂46に関わり、『賭ケグルイ』のために「髪を切ってもらうことはできるか」と伊藤万理華に求めた英勉監督が完成させた映画の中で、犬八は輝いていた。

「あんたらさ、クズとか虫ケラとか言われていいわけ?」錚々たる映画出演歴を持ち、若くしてカメレオン女優の異名を取る森川葵が演じる早乙女芽亜里が、騙し討ちにあった下層階級の生徒たちにクライマックスで語りかける。

「ふざけるな! 悔しいだろお前! お前ら!」伊藤万理華が演じる犬八が絶叫し、足を踏みならす。「負け犬か? ちがう!」「家畜じゃない!」インタビューの中で「大きく演じるのが苦手で、声も通らない」と悩んでいた声を張り上げ、伊藤万理華は必死に叫ぶ。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の革命劇、「民衆の歌」を彷彿とさせる映画『賭ケグルイ』のクライマックスの大逆転はここから始まる。

乃木坂46時代の伊藤万理華 ©時事通信社

彼女しか演じられない役

 本人も認めるように、この映画の伊藤万理華の演技は、若手世代のエース格と目される浜辺美波や森川葵より上手いわけではない。生徒会長を演じる池田エライザのように、映画に君臨する女王蜂のようなオーラに満ちているかと言えばそれもノーだ。世の話題をさらったのは、アイドルイメージを覆す怪演を見せた福原遥だっただろう。

 だが、伊藤万理華の演技は、通らない声を必死に張り上げるその未熟さや若さ、居並ぶエースやクイーンの前に心が折れそうになりながら、存在を賭けて自分のカードを叩きつけてコールするような誇りを含めて、犬八十夢というキャクラターが何者であるのかをよく表現していた。

 それは現在、『東京リベンジャーズ』の特大ヒットで名監督の仲間入りをしつつある英勉監督が書き下ろした、伊藤万理華しか演じられない役だった。同時にそれは、強者と弱者、勝者と敗者が入れ替わるギャンブルの魔性、映画のテーマを象徴する役でもあった。

 俳優は不思議な職業だ。強く美しいもの、エースやクイーンが「常に」勝つとは限らない。映画のクライマックスで浜辺美波演じる天才ギャンブラー蛇喰夢子が、悪魔のように冷たい微笑とともに裏返す最弱のカードが、一瞬にしてすべての強者と弱者、権力の構造を入れ替える驚くべき脚本を象徴するように、映画の中の犬八十夢は輝いていた。

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