日本中から集めた「切り札」の中での苦悩
乃木坂46は恐るべきグループである。ソニーグループという日本有数の資本を背景に、すでに大成功したAKB48への対抗を目指し、トランプでいえばエースやクイーンになりうる切り札を日本中からかき集めるようにして結成された乃木坂46は、日本のアイドル史でも稀に見る規模の商業的成功を収めていくことになる。
だが中元日芽香が著書『ありがとう、わたし~乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで~』の中で振り返るように、その渦中にいるまだ若いメンバーたちの心身には限界を超える負担がかかっていた。
日本中から切り札を集めた環境の中だからこそ、自分がエースやクイーンたりえないことを思春期の心に容赦なく突きつけられる衝撃の中で、摂食障害や休養を経験し、やがて卒業後に大学に進み、自分を救ってくれた心理カウンセラーという職業をめざした経緯を中元日芽香は綴っている。
休養こそしなかったものの、それは伊藤万理華も同じだ。ファッション雑誌『装苑』(2019年11月号)での連載エッセイでは、卒業後の心境を「アイドルから人間に戻る」と表現した文章を書いている。ファンからは「まりっか」のニックネームで愛され、ダンスや演技の高い能力を支持されたが、伊藤万理華もまた「選抜落ち」と呼ばれるシングルの選抜メンバーからの落選を経験し、自分の可能性に悩む日々を送った。
スター俳優ぞろいに自信を喪失しかけた過去
芸能界を離れ、心理カウンセラーとなった中元日芽香との違いは、伊藤万理華にとっては卒業後も芸能界での戦いが続くという点だ。卒業後に出演した映画『賭ケグルイ』で伊藤万理華は、「犬八十夢」という少年とも少女とも説明されない不思議なキャラクターを演じた。ギャンブルの強弱で厳しくカーストが決まる学園の中で下層階級に位置し、学園の制度の転覆をめざす犬八は原作には登場しない、映画オリジナルのキャラクターだった。
当時のインタビューを読むと、伊藤万理華がほとんど自信を喪失しかけているのがわかる。『賭ケグルイ』に出演する俳優たちは、浜辺美波、森川葵、池田エライザという日本映画を席巻する若きスターぞろい、まさに乃木坂と同じく、若手俳優界のエースとクイーンの切り札だらけだったからだ。
「役者一本でやってる方たちはすごい力がある」「声も出ないし、通らない……とにかく、大きく演じることを得意としない自分にとってはものすごい挑戦だった」「やれるかな、という不安の方が大きかったです。映画の中で、良いバランスでいられるか。本当に自分ができるのか、犬八の必要性も考えてしまったほどでしたが、考える時間もなかったので“やるしかない”と決意しました」