震災も含めて出来事との距離は、いつだってつかめない
石沢さんが口にする「距離」という語は、『貝に続く場所にて』に何度も出てくるキーワードだ。ゲッティンゲンに現れる野宮は「私」にとって、肉親でも友人でもない距離感のある相手。彼が姿を消した震災からは、すでにしかるべき時間が流れている。津波に襲われた地域に住んでいたのではない「私」は、野宮や震災との距離を測りかねている。
東北出身の石沢さん自身が作品を通して、東日本大震災の記憶や自分との距離感を測ろうと模索しているようにも思えてくる。
「それはありますね。震災も含めていろんな出来事や記憶との距離は、いつだってなかなかつかめない。自分が生業としている研究についてもそうです。研究対象の美術作品と私はちゃんと対峙できているのかな、といつも感じます。今回の小説でも、最後まで書き終えたとはいえ、いろんなものの距離をうまく収められたとはまったく思っていません。語り手と野宮が本当に理解しあって距離が縮むということは起こらないのです。ただ、語り手の彼女は最後に一瞬だけでも、ものごとと自分との距離を捉えることができた気がして、そのとき鮮やかな光景を見られたのではないか。距離が正しく見えたからこそ、遠近法が自分の中で作られたのではないかと考えています」
石沢さんは自分と自作の距離についても、少々変わったスタンスをとる。
「今回の受賞で作品が評価されるのはうれしいことなんですが、それによって私が会見やインタビューで偉そうに話すっていいのかな、なんか違うんじゃないかという思いが拭いきれません。私はあくまで作品の影武者にすぎないので。影がこんなに出しゃばるのはどうなのか、と」
いやしかし読者の立場から見れば、石沢麻依さんが作者であるのは紛れもない事実であって……。