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1889年、九州最初のターミナルとして誕生した「博多」

 博多駅が開業したのは、1889年12月のことである。現在の鹿児島本線の博多~千歳川仮停車場間開業と同時に駅もできた、九州で最初のターミナルである。ただ、いまとは少し場所が違っていて、北西に数百メートル離れたあたりに小さな駅があった。もちろん、当時から博多駅と名乗っている。

開業当時の博多駅(『懐かしの停車場』より)
初代博多駅の碑

 いまよりも少し北西、つまりいまでこそおおむね直線的に南北に線路が通っているが、かつては少し西側に迂回していたというわけだ。どうしてそうなってしまったのか。何か避けるべき魔物の住処でもあったのか。

 むしろ答えは“何もなかったから”というべきだろう。博多駅が開業した当時、現在の博多駅付近はとりたてて何があるわけでもない田園地帯だったようだ。むしろ市街地は博多湾に近い北西側に広がっていて、少しでもその市街地に近づけようというのが当初の博多駅の狙いであった。そして、その町は「博多」という。博多の町に生まれた九州最初のターミナル。そりゃあ、文句なしに博多駅と名付けられますよね……。

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 福岡市そのものは博多駅が開業する約8か月前、1889年4月に誕生している。だったら、福岡駅とするべきじゃないかとも思うが、駅名はもっと前から決まっていたのだろう。そしてそのもっと前には、現在の福岡市は博多と福岡という、2つの町に分かれていたのだ。

那珂川によって隔てられる2つの町

 博多はもとは港町で、古くは日出づる国の遣隋使や遣唐使がここから出た。蒙古襲来の折には鎮西探題が置かれて九州の行政の中心となっている。そして中世には大内氏の勢力圏となり、対明貿易の拠点として商業も盛んになった。つまり古くから大都市の素養を兼ね備えていたのだ。戦国時代には戦乱によって灰燼に帰したが、秀吉が町割りを行って復興、以降は商人の町として発展していった。

 対して、福岡は比較的歴史の新しい町である。古代には鴻臚館が置かれて古代日本の外交拠点になっていたがその役割は太宰府、そして博多へと奪われてしまう。そんな福岡を都市に育て上げたのが、福岡城を築いた黒田長政である。関ヶ原の戦いの功績で福岡藩主になった黒田長政は、それ以前に名島にあった城を廃城として福岡城を新たに築き、こちらを城下町として整備した。そうして江戸時代を通じて福岡は福岡藩の行政の中心となったのである。

 この博多と福岡は那珂川によって隔てられる。その那珂川に浮かぶ小島が中洲であり、商人の町・博多と武士の町・福岡という双子都市がいまの福岡市のルーツなのだ。明治時代に入ると、最初は福岡が福岡県第一区、博多が福岡県第二区となる。その後、両者は合併して福岡県第一区となり、そのまま福岡市の誕生へと繋がった。そして九州最初のターミナルは、紛れもなく博多側。博多の町の外れに開業した。だから、博多駅を名乗ったことは充分に筋が通っているのだ。