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2021/07/19

genre : ライフ, 歴史, , 社会

「市の名前をどうするのか」問題

 もうちょっとわかりやすく言えば、福岡市は博多と福岡というふたつの別の都市が合併して誕生した大都市、ということだろう。平成の大合併では小さな市町村がいくつも合併して斬新な名前の新しい都市が誕生したが、福岡市の誕生はその“先人”といっていい。

 で、規模に遜色のないふたつの都市が合併したのだから、問題は山積みである。最大の問題は、市の名前をどうするか。もうこれはまったくの大問題で、市議会で多数決によって解決を図るもこれがまったくの同数、最終的には福岡側の議長が福岡に、としたことで決着したという。

 ほんとうにこれで博多側が納得したのかどうかはわからない。が、少なくともその時点で市を代表するターミナルは「博多駅」と命名されていた。まだ鉄道などなんぞのものかわからない時代ではあるし、駅は博多と福岡の綱引きなど関係なく“博多にあるから”といった程度の理由だろうとは思うが、少なくともターミナルの名前は博多、市の名前は福岡となっていちおう落着したのだ。こういう歴史をたどれば、福岡駅ではなくて博多駅というややこしさ、いちおうの理解ができるのである。

 

西鉄のターミナル「福岡」には何がある?

もう一度今回の路線図。福岡側にはちゃんと「福岡駅」がある

 ちなみに、福岡側にはちゃんと「福岡駅」がある。西鉄天神大牟田線のターミナル・西鉄福岡(天神)駅だ。副称の“天神”がもう一般的な呼称になっているくらいだが、「福岡駅」は西鉄のターミナル。博多は新幹線がやってくる他の地域からの玄関口としての役割を持ち、どちらかというと近隣からの福岡市の中心ということで西鉄の福岡駅がある。福岡の若者たちが集う天神は福岡にあって、ビジネスマンがやってくるオフィス街は博多側。博多駅開業以降の福岡市は、いまに至るまで博多と福岡の双子都市として発展を遂げてきたのである。

 
 
1961年の空港写真(赤い部分が線路)
1972年の航空写真(赤い部分が線路)

 もともと博多の市街地の外れに生まれた博多駅は、戦後の輸送量増加に対応すべく拡張工事が行われ、それに合わせて1963年に現在地に移転。1975年には山陽新幹線もやってきた。この時代は市街地が急速に広がっている時代で、開業当時は田園地帯に過ぎなかった現在の博多駅周辺もあっというまに市街地に生まれ変わった。そうして、いつしか博多駅は大ターミナルとしての立場を確固たるものにしていったのだ。

 
 

 新幹線で博多駅にやってきたら、まずは自由通路でクロワッサンの香りに酔う。天神、すなわち“福岡”に向かいたいならバスに乗るか地下鉄に乗るか。九州の他の地域に行こうとすれば在来線のホームに向かう。するとホームの立ち食いラーメン屋から博多ラーメンの豚骨臭が漂って食欲を刺激する。そう、博多駅は食い倒れの駅でもある。

 

 ほかにも明太子やもつ鍋、博多うどん、通りもんに筑紫もち、ぶらぱい。博多(というか福岡市)の名物は枚挙に暇がない。それは、博多・福岡という双子都市から来る福岡市の歩み、そして商人の町だった博多のルーツ。そうした歴史が凝縮されているのが、九州初のターミナル・博多駅なのだ。

写真=鼠入昌史

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