誰からも愛される「顔」。そんな人物がいるジャンルは幸せだ。その人の活動や言葉が広まることで、ジャンル全体の認知はぐいぐい進む。
写真表現の世界でいえば、その役割を担っているのはズバリ、篠山紀信。
写真界の「顔」として君臨すること数十年。およそ日本で暮らしていれば、彼の存在と作品を「知らない」「見たことない」なんてあり得ないのである。
60年にも及ぶ篠山紀信の創作の軌跡を、一挙に見られる個展が開催中だ。東京都写真美術館での「新・晴れた日 篠山紀信」。
1960年代から時代と切り結んできた
東京・新宿で過ごした小学生時代に初めてカメラを手にし、写真を撮ると相手が喜ぶと知った篠山少年は、写真表現の世界にのめり込んでいった。
日本大学藝術学部写真学科に進学し、在学中に早くも撮影の仕事や作品づくりを始めた。すでにセンス、技術とも明らかに際立っており、あっという間に「時代の寵児」に。売れっ子写真家として、その名はすみやかに社会へ浸透していった。
かようにスター街道を駆け上がったのは1960年代のこと。以来60年ほどのあいだ、1年たりとも写真から離れたことはない。しかも活動の場は、いつだって第一線ばかり。そのときどきで最も旬な人を撮り、いちばん「イケてる」メディアで発表し続けてきた。
とりわけ20世紀後半に隆盛を見た雑誌文化との相性は抜群。写真専門誌はもとよりアイドル誌からニュース誌まで、数多の雑誌の表紙や巻頭ページを篠山紀信の写真が飾り続けた。
それなのに、だ。写真・映像表現を専門に扱う東京都写真美術館ではこれまで、日本写真の大立者たる篠山紀信の個展が開かれたことがなかった。
美術館とはどこかかたちの定まった、つまり見方や評価の確定した作品・作家を扱いたがる傾向にある。片や篠山紀信という写真家は一瞬たりとも活動を止めず、時代と切り結んだ表現をし続けている。そう、篠山紀信とはいわば「ナマモノ」。静的な美術館の展示室に収まりづらい面があるのはわかる。作家本人も、
「あまり似合わないんじゃないか」
と、美術館での展示をさほど積極的に考えてこなかった節がある。
とはいえ、写真界の「顔」をいつまでも取り上げないのは、「写真」美術館としては少々不思議な事態。観客からの潜在的な期待も大きいはずだ……。
そう考えた同館がアプローチし、今展実現の運びとなった。