「特に母校慶応の名誉を傷つけたことに対して非常に責任を感じている。卒業生名簿から名前を消してもらいたい」
各紙には東京に護送される急行車中の正田の写真が載っているが、ミルキーハットこそないものの、相川や近藤と同じ雰囲気を漂わせている。読売は「(午後)7時半、川端署を出て京都駅に着いたときには、早くもニュースは伝わり、黒山のようなヤジ馬にもみくちゃにされ、京都駅警備派出所に逃げ込む騒ぎ。やっと(急行)明星の一番車両の三等車に、捕まったときのままの服装で乗り込み、幾分青ざめた表情。それでもパッパッと写真のフラッシュがたかれると、『ちょっと待ってちょうだい。目が痛くてしょうがない』と女性的な声でやり返す」と書いている。
当時は護送中でも取り囲んで話が聞けたため、各紙とも一問一答を載せているが、内容は微妙に異なる。比較的まとまっている読売を見よう。
問 犯行の動機について
答 昨年の夏、就職試験でレントゲンを撮ったら、左の肺が浸潤されていることが分かり、大きなショックを受けた。それから幾分やけになっていたが、僕は元来おっちょこちょいなので、あんな大それたことをしてしまった。誠に申し訳ない
問 主犯は誰か
答 後で調べれば分かるが、ボクではない。コンちゃん(近藤)で、ボクは手引きと後始末をしただけだ
問 いまの心境?
答 ただ申し訳ありません。母や兄たちにも随分迷惑をかけたり、特に母校慶応の名誉を傷つけたことに対して非常に責任を感じている。卒業生名簿から名前を消してもらいたい
「卒業生名簿」の部分は後で物議をかもした。殺人の弁明としてはいかにも軽いからだろう。「おっちょこちょい」というのにも首をひねった人が多かったのではないか。それが「アプレ」の印象をさらに強めたと思われる。
この日の朝刊には「“常識捜査”の裏をかかれる」(毎日)、「帝銀以来の大捜査 裏をかゝ(か)れた警視庁」と、解決まで約2カ月半かかった警察の捜査に疑問を投げかける記事も。
興味深いのは三宅修一「捜査課長メモ」に記された次の事実だった。「犯人は逃走中、人相を変えるため、度の強い眼鏡をコンタクトレンズに代えていた。もちろん、彼を追った私たちの知る由もなかった」。コンタクトレンズは角膜の上に乗せて使うプラスチック製レンズで、日本では1951年に名古屋大で視力補正の実証実験に成功したのが始まりとされる。当時はまだ珍しかったわけだ。変装を予想したモンタージュ写真第1号だったことと併せて、戦前からの犯罪と捜査とは一線を画した“最先端”の犯罪だったといえるのではないか。