その後も正田の行方はなかなかつかめなかった。「鎌倉の旅館に泊まった」「伊豆・修善寺に」などの情報もあったが、事実とは確認されないまま、「正田はなぜ捕まらぬ」(8月11日付夕刊読売)、「十数名の『正田らしい男』」(8月17日付朝日朝刊)といった記事が載った。

「あら、いい男。あたし、こんなひと、スキなのよ」「コロシなんか何よ。あたい、かくまってやるわ」

 松岡繁「血の雫で暴かれた『メッカ』殺人事件」(「現代の眼」1978年8月号所収)は、当時の三宅修一・警視庁捜査一課長が雑誌に書いた文章を紹介している。

 正田の素行などから考えて手配写真を配って歩いた。ところが、派手な職場に働く女性たちは、「あら、いい男。……あたし、こんなひと、スキなのよ」と口々に言うのである。意外だった。「まあ、代表的な美男子だわ」「ネエ……あたし、一杯おごるから一枚ちょうだいよ」とだだをこねて手配写真の希望者が続出するありさまだった。「あたい、こんなオトコがいたら、それこそ血道をあげっちまうな。コロシなんか何よ。あたい、かくまってやるわ」。ホシを追って街のホコリをかぶり、むさくるしい格好の刑事こそ、いいツラの皮だ。彼女たちは夢見る風情で手配写真を胸に抱き、結婚相手には理想の美男子とでも思ったのか、ほとんどしまい込まれてしまった。「こんなことじゃあ、手配写真をいくら配っても何にもならん」。くさったのは刑事たちだ。

 捜査の難航による長期化に対して警視庁は8月26日、9種類の正田の写真を印刷した手配ビラ5万枚を全国の警察をはじめ旅館、料飲店、理髪店、浴場、マージャン屋に配布。捜査に追い込みをかけた。過去に撮影された写真6枚に加えて、3枚は「警視庁が手配写真として作成したものでは初めての試みで、変装などを予想して、素顔に酷似した1枚の顔からメガネを替え、長髪を坊主刈りにしたり、メガネを外したりした一種のモンタージュ」(朝日記事)。犯罪捜査でモンタージュ写真が使われた初のケースだった。「指名手配されていながら、正田は長い間捕まらない。これは正田が変装しているからだろうと断定した」(遠藤徳貞「鑑識捜査」)ためだったという。

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変装を想定した初のモンタージュ写真も公開された(読売)

 読売は9枚の写真全部を、朝日はうち3枚を掲載した。効果はあったようで、10月7日付夕刊読売は社会面コラム「話の港」で「“正田に似た男”の情報はその後も1日数件、既に1000件を超えたという」と書いた。

 10月12日付夕刊読売には「正田とは別人 京都の変死男は大阪の店員?」という社会面2段の記事が載っている。それによると、10月1日に京都市下京区の旅館で服毒自殺した男性が正田ではないかとの連絡が入り、捜査一課の係長が正田の母親とともに現地に向かった。しかし、母親は男性の遺留品には「どれも見覚えがない」と証言。歯型の照合でも別人と断定され、その後、身元が判明したという。捜査本部には肩透かしだったが、その動きは無駄ではなかった。