冷たい母、家庭内暴力…優秀な子ども時代とすさんでいった生活
同書に収録されている2度目の精神鑑定書を読むと、正田の犯行に向かう心理の流れがつかめる。
まず、家庭環境が複雑だった。母は意志が強く立派な人間だったが、家庭的には冷たかった。長男は「金に執着を持ちすぎる」と批判していた。その長兄は家庭内で母や弟妹に暴力を振るい、そのために弟妹は長兄を恐れ、次兄と姉は神経衰弱になったこともあったという。
正田は子どものころから優秀だったが、旧制高校受験に2度失敗。慶応予科から学部に進んだころ、通っていたダンスの教習所で1歳下の体操教師の女性と知り合い、深い関係になった。しかし、女性の男性関係に対する疑念から別れと復縁を繰り返した。そのうち、友人に誘われて麻雀を覚え、金を賭けるようになって生活がすさんでいった。
1952年、就職試験の際に肺結核が発見され、大きなショックを受ける。そのため、一流会社への就職を断念。証券会社に入社したが、遊興費欲しさに無断で家を担保に8万円(現在の約50万6000円)借金したり、イタリアに渡っていた次兄からの送金10万円(同約63万2000円)を持ち出すなどの不行跡を続けた。
証券会社から解雇された直後、交際女性の叔母から預かっていた株券と現金10万円を使ってしまい、その返済に窮していた。女性との復縁を願い、そのためにも金をと考えたのが犯行の直接の動機だった。
獄中で日記やメモを書き続けた正田だが、直接事件を振り返った内容はほとんどない。宗教的に高みに達すれば達するほど、かつての自分の行為が信じられない思いだったのか。
メッカ殺人事件は金欲しさの強盗殺人とされたが、「死刑囚の記録」は「犯行前後の事情を考えると、単なる金欲しさの動機だけでは説明がつかない」として、上告趣意書の正田の言葉を記している。
「私は進んで破滅を求めたのです。私にとっては、もはや破滅だけが長い間ひとびとの視線の向こう側に絶望して蹲(うずくま)っている本当の自分を取り戻す、たった一つの、避け難い方法でございました」
ここにも戦争の時代が影を落としていたということだろうか。
【参考文献】
▽岩田政義「鑑識捜査三十五年」 毎日新聞社 1960年
▽「別冊一億人の昭和史 昭和史事典」 毎日新聞社 1980年
▽遠藤徳貞「鑑識捜査」 鏡浦書房 1958年
▽三宅修一「捜査課長メモ」 人物往来社 1962年
▽内村祐之・吉益脩夫監修、福島章・中田修・小木貞孝編集「日本の精神鑑定増補新版」 みすず書房 2018年
▽加賀乙彦「死刑囚の記録」 中公新書 1980年
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生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。
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