文春オンライン

「お礼を言われる筋はないよ」半藤一利が『日本のいちばん長い日』刊行後に受けた“鋭すぎる指摘”とは

『歴史探偵 昭和の教え』より #1

2021/08/06

source : 文春新書

genre : ライフ, 読書, ライフスタイル, 社会

note

阿川文学の真髄を知る

 阿川さんの歴史への姿勢を肌で感じたのは「私記キスカ撤退」のお原稿をいただいたときでした。私は会社では文芸部門に縁がなく、ジャーナリズムの畑ばかりを歩んでいたものですから、作家・阿川弘之さんの担当をしたことがありません。実は、お原稿をいただいたのは、この一度っきりなのです。

 編集長をしていた『漫画読本』が昭和45年に休刊となり、社内浪人になってしまった時分のことです。

 何もせずに禄を食(は)むわけにもいかないので、『太平洋戦争 日本軍艦戦記』というグラフィックな雑誌を出すことにしました。そこで、既に戦記文学の大家であった阿川さんにキスカ島からの撤退作戦について書いて欲しい、とお願いにあがったのです。

ADVERTISEMENT

 ところが、「すでに幾人もの人が書いている。そのうえに何を書けっていうの」となかなか首を縦に振ってくれない。こっちもこの一冊に首がかかっているものだから、最後は、拝み倒して半ば無理やり引き受けてもらいました。

 締め切りまで時間がなかったため、「お手伝いしましょうか」と伺(うかが)うのですが、「結構です」と断られてしまった。

©️iStock.com

事実自身に歌わせる手法

 いただいたお原稿を見て驚いたのは、その丹念な取材手法でした。初出時にはすべて載せたのですが、謝辞として「元北海守備隊司令官・峯木十一郎氏、同参謀・藤井一美氏……」と20名以上の方の名前が書かれていたのです。

 文献だけでなく、短期間に当時ご存命だった関係者にはほとんど取材をしておられたのです。阿川文学の真髄である、事実をもって語らしむお原稿でした。

 その姿勢はどの阿川作品でも変わりはありません。『山本五十六』では、バクチ好きの性格や愛人との手紙のやりとりも書き込みましたし、『志賀直哉』では、志賀さん本人も口をつぐんでいた兵役のがれについて書いています。

『米内光政』も『井上成美』も丹念な取材をして事実を積み上げていく手法です。ご自分は歌わず、事実自身に歌わせる。私が阿川文学の最高傑作だと思っている『軍艦長門の生涯』もまた然りです。

 美談だけを並べて仕立てることはせず、史実に誠実に向き合いながら、戦争の真実を描こうとする。私はその姿勢に心底感服しました。

 阿川さんと最後にお目にかかったのは、平成17年のことでした。『阿川弘之全集』の刊行に際して行った対談の場です。

 文壇の話やら海軍の話やらで盛り上がり、さて今日はお開きにいたしましょう、となりました。