「これで本当のさよならにしよう」
別れ際に阿川さんは、私を「ゲンマイくん」と中学生時代のあだ名で呼ぶんです。「なんですか、ゲジゲジ先生」とこちらも、戦時中の阿川さんのあだ名で呼び返しました。いつものような別れの挨拶かと思ったら、その日は勝手が違いました。
「もう、これで本当のさよならにしよう」と、阿川さんは話しはじめたのです。今後は、病院に入ることになっても、決して見舞いには来ないで欲しい。
「見舞いに来られても、それだけでくたびれて、機嫌が悪くなるから。これでさよならにしよう」
実に阿川さんらしい別れの言葉でした。その後、亡くなるまでの10年間、手紙や電話でのやり取りや新刊本の交換はありましたが、ついぞお目にかかることはありませんでした。いや、あえて病んだお顔を見に伺うことはやめました。
私にとっての阿川さんは、海軍の話が一緒にできるお兄さんといった存在でした。阿川さんは大正9年生まれで、私は昭和5年生まれ。ちょうど10歳違い。阿川さんにしても、昔の海軍の話を喜んで聞く、そしてべらんめいで応答する私を面白がってくださっていたんじゃないでしょうか。阿川さんが亡くなってから、ふとそのような想いが脳裏をかすめるこの頃です。(2015年10月)
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