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 ここまで述べてきたように、タモリという人間の根底にあるのは、社会のルールや常識とは無関係に面白がりたいという姿勢だ。そこには、ルールや常識を押し付けてくる権力や権威への嫌悪感もあるだろう。その嫌悪感が、「しらけ世代」のように攻撃に転じる場合もあるだろう。だがそれは、権力や権威の理不尽さを告発することがベースにある社会風刺と似ているようで異なる。むしろそこにあるのは、わかる人とだけ一緒に楽しむセッション的な関係性への純粋な非社会的欲望だ。

『いいとも』の初期に「名古屋ネタ」というものがあった。日本有数の大都市であるものの、田舎っぽさが見え隠れする名古屋の風土を「エビフリャー」などと誇張した方言でタモリがネタにして話題になった。

 これなども本来はマニアックなネタである。今でこそ地域ネタはバラエティ番組の定番だが、当時はそれほどメジャーなものではなかった。にもかかわらず、タモリのマニアックな視点は世間に受け入れられた。それだけではない。文化人が言いそうな難解な言い回しをアドリブで語る思想物まねも、タモリならではのマニアックなネタだが、劇作家・詩人の寺山修司や作家・野坂昭如の思想物まねで、当時のインスタントラーメンのCMに出演してもいる。

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 要するに、変わったのはタモリではなく社会のほうだった。タモリ自身は、ずっと変わらぬ趣味人だった。

 ここで「趣味」という言葉には説明が必要だろう。一般的な趣味のイメージは、仕事や家事を済ませた余暇にやる遊びのことだろう。だがタモリの場合は、趣味が人生のすべて、つまり生き方そのものである。主従の関係でいえば、趣味は従ではなく、主。タモリにおいては両者の関係が逆転している。

©文藝春秋

タモリに憧れるモラトリアム世代の若者たち

 それは、「しらけ世代」であり「モラトリアム世代」でもあった当時の若者にとって、憧れを強くかきたてられる生き方だった。1980年代には、大学生が勉学や修養よりもサークルやコンパなど遊興に明け暮れる大学のレジャーランド化が批判されもした。しかし、“一生モラトリアム”は、当時の大学生やその世代の若者たちにとって、偽らざる生き方の理想でもあったはずだ。「遅れてきた大学生」としてすでに大人の年齢になっていたタモリは、まさにそれを体現する存在に見えたのである。

©iStock.com

 1980年頃、『タモリのオールナイトニッポン』で企画されたイベント「中洲産業大学夏期講座」などは、その意味で象徴的だ。講師陣にはタモリをはじめ、赤塚不二夫や山下洋輔らが顔をそろえ、入試に合格した者だけに受講資格が与えられる。期間は1週間だったが、50~60人の定員のところに2万5000人もの応募があった。

 いわば“大学ごっこ”だが、それはレジャーランド化した大学そのものとも言える。実際、夏期講座の模様が放送された4時間のうち、後半の2時間は、その場にいる人間が「ソバヤ」を唱和するというお祭り騒ぎになった。その盛り上がりからは、大学生世代の若者のタモリという存在への憧れが伝わってくる。

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