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情報統制下の日中戦争

 日中戦争は「情報戦」だった。国民の士気を高めて、いかに戦意高揚を図るかが重要な課題とされた。多くの新聞記者やカメラマン、作家が従軍し、記事やルポルタージュ、写真を戦地から送稿してきた。絵はがきもまた広報戦略の一翼を担う。軍の検閲を経て、時には長い文章よりも一枚のはがきに載せた絵や写真が人びとの心を突き動かした。

 日中戦争の絵はがきは国際世論を意識したのか、初期は英文を添えた品が目立つ。ただし、注意深く見ると、戦争を意味する単語「war(ウォー)」は使っていない。日中両国は宣戦布告していないから、あくまでも偶発的な軍事衝突であって「戦争」ではないとする立場を貫いている。

 英語の説明を見る限り、「Sino-Japanese Incident(支日事変)」「North China Incident(北支事変)」「Shanghai Incident(上海事変)」のように事件を意味する「incident(インシデント)」を使う。満洲事変は「Manchurian Incident」が大半を占めるが、「Mukden Incident(奉天事変)」や「Manchuria Affair(満洲事件)」も登場する。戦争イメージの矮小化に努めたのだ。

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絵はがきに描かれた若い兵士たちの日常

子供と遊ぶ我が兵士(「ラップナウ・コレクション」より)

 そんな絵はがきに日本軍の戦果を伝える場面が多いのは当然として、兵士の日常風景もまたさりげなく描かれる。「子供と遊ぶ我が兵士」では、若い日本軍兵士2人が中国人の子ども2人にあめ玉を手渡す。お互いに笑顔がなく、どこかぎこちない。

戦中に寸暇を盗んで昼食(「ラップナウ・コレクション」より)
余裕綽々前線で支那西瓜をパクツク我兵(「ラップナウ・コレクション」より)

「戦中に寸暇を盗んで昼食」では、草原を背景に兵士たちが飯盒のご飯を頰張る。さらに「余裕綽々前線で支那西瓜をパクツク我兵」ではピクニック気分さえ漂う。「前線の憩い」をテーマに兵士・笑顔・食べ物の三要素が結びつく。これら3枚はもちろん陸軍検閲済だ。戦地は平穏であり、食糧事情に恵まれていた状況を描く。

 しかし、現実は真逆だった。食糧の輸送が届かず、前線の兵士は飢えていた。自身の従軍体験を元に石川達三が著した小説『生きている兵隊』によれば「北支では戦後の宣撫工作のためにどんな小さな徴発でも一々金を払うことになっていたが、南方の戦線では自由な徴発によるより他に仕方がなかった」とある。

「炊事当番の兵たちは畑を這いまわって野菜を車一ぱいに積んで帰り、豚の首に縄をつけて尻を蹴とばしながら連れて帰るのであった」と記し、やがて「徴発」は外出の口実となった。「徴発」とは現地の農家や住民から食糧や家畜を強制的に集める行為を意味し、後方からの補給が途絶えると、前線の日本軍は日常的に「徴発」を繰り返すようになった。そんな状況が描写される。同じ戦争でも切り取った“事実”によって、まるで異なる景色が見えてくる。時代を超えて、騙し絵のように引っかかってしまいそうな絵はがきだ。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。