壊れた自動車、散乱するがれき…絵はがきに見る空襲
同じ日の空襲を異なる角度から写した場面が「支那空軍に爆破されたるキャセイホテルの惨状」となる。壊れた自動車や自転車、瓦礫が散乱し、空襲の凄まじさを物語る。犠牲者には大学教授や雑誌編集者、医師など多数の外国人が含まれた。ノースチャイナ・デイリー・ニュースの会計士は事務所を出た直後に亡くなったと伝える。
中国軍の空襲は複数回に及ぶ。この絵はがきでは、説明に「8月23日正午12時50分頃先施公司第二楼に支那空軍の爆弾投下により炸裂、附近惨状を呈し即死160人以上と470人余の負傷者ありたり」と添える。先施公司は上海を代表するデパートの一つであり、白昼に繁華街への攻撃だ。
当時の上海は欧米各国の要人や特派員が常駐し、国際世論に直結する土地柄だったにもかかわらず、日本軍は宣伝工作を十分に尽くさないまま軍事報復に踏み切った。ちなみに一連の攻撃で中国軍が用いた爆撃機は米国製だった。
日中両国は華北(北支戦線)と上海(上海戦線)において本格的な戦闘に至り、全面戦争へと突入した。当初は蔣介石の大軍を前に日本軍は圧倒的に不利だった。かつてのような旧式の中国軍ではない。ドイツ製と米国製の兵器によって近代化された最新装備の軍隊が相手だった。
そして、上海空襲の絵はがきを見る限り、発行者には中国軍の非道を広く知らしめる意図があったが、同時にその空軍力を示す側面もあった。見方や文脈によって宣伝工作の効果は変わってしまう。