東京オリンピック開会式で、各国入場の際に日本が世界に誇るゲーム音楽が流れ(ただし任天堂以外)、ゲームに造詣のある人も流行りゲーしかやらない人も総立ちになって「これぞ日本だ」と思ったのではないでしょうか。
実際、日本のゲーム産業という観点から言うならば、一時期の「ゲーム産業は欧米や中国に抜き去られて大変なことになるのではないか」という悲観論を跳ね返すようなヒット作を連発しています。スマートフォン向けゲームが世界を覆い尽くし、多機能なハイエンドPC向けゲームが産業の中心になることで、世界的に売れるゲームが日本ではなかなか作れないのでは、という予測もありました。
ところが、意外とみんなゲームはちゃんとコンソール(据え置き機)を中心にしっかりゲーム専用機でやり、スマホだけでなくSwitchでもしっかりお金を使って遊んでいることが分かると、手のひらを返したように「やっぱり日本のゲームは強い」という話になるわけであります。
日本のゲーム産業の残念な構造
もちろん、日本のゲーム産業の構造自体は大変に旧態依然としています。
第一に、非常に残念な下請けの構造があり、ゲーム会社が立てた企画を開発会社へ丸投げし、さらに開発会社がイラストレーターやプログラマーなどさらに下請け企業やフリーランスの開発者に放り投げ中抜きをする、という構造で作られる「メインではないタイトル」はたくさんあります。
これは、もちろん会社の中に開発者を多く抱えて人件費負担をしたくないという経営上の考え方もあります。ゲーム産業も巨大な装置産業の面があり、多いところで年末商戦や期末商戦で8割近い売り上げを確保する必要があるため、大作タイトルを仕込めない年度は年末や期末に向けて「とりあえずセールスを上げるために売るものを作る」プロジェクトが立ち上がります。ライトノベルのタイアップものやどう考えても既存ゲームのエンジンの使い回しのようなキャラクターゲームが乱発されるのも、ゲーム会社はたいてい上場企業で収益を毎年コンスタントに計上するためにゲームを毎年リリースし続けなければならない運命にあるからだとも言えます。
第二に、このゲーム業界の構造にも関連することですが、日本ではゲームメーカー自らが上場し、自社で研究開発(R&D)を行い、プロデューサーの半分ぐらいは生え抜きの組織で、開発者からイラストレーターまで丸抱えしてゲーム開発プロジェクトを運営することが多くあります。ゲームの企画立ち上げから開発費用の捻出、マーケティング、下手するとサービスを実施するところまで垂直統合で仕事をするのが日本型ゲーム会社の構造になっています。