メンタリストDaiGoがモノ申す相手
ただし、やっていることは前述したように、所詮はより過激なことを発言して、多くの迷っている人たちを集めて、おカネに換えるという「教祖ビジネス」に他なりません。過激なことを動画で言って人を集めるけれど、不謹慎発言でギリギリ炎上しないところを頑張って探って、視聴者に喜ばれて信者を集めることを考えてきたのでしょう。その点では、過去にも騒動を起こし逮捕された迷惑系ユーチューバーや、集まってきた無知な若者をサロンに押し込み信者商売をやっているプチ著名人と、やっていることにさして変わりはないのです。
そして、ここでメンタリストDaiGoがホームレスに存在意義はないと騒いだところで、ホームレスの人たちはほとんどがスマートフォンを持っておらず、彼の動画には辿り着くことはできません。いわば欠席裁判であり、うまく攻撃的な侮辱発言が、当事者の耳には入らないようにして反撃されないように考えているのです。ということは、誰に対してモノを申しているのかと言えば、ホームレスを酷評することで喜ぶ、通勤通学の電車や食卓、ベッドの上でスマホ動画を観ている人たちにすぎない、ということです。ほとんどの視聴者はホームレスではないでしょうから、うんうん、メンタリストDaiGoはいいこというなあ、ホームレスには存在価値はないなあ、うんうん、その通りだ、と言いながら観ていることになります。
一方で、メンタリストDaiGoが言っていたことに一面の理があるとするならば、ホームレスに存在価値がないということではなく、我が国の政府や社会の貧困対策においてまだまだできることがあるだろうという点です。話の展開としてメンタリストDaiGoがせめてそこに触れていたら、もう少し違った展開になっていたかもしれません。
一歩間違うと自分自身もホームレスになりかねない現実
また、思い返すべきなのは、実は私たちが普通に暮らして文春オンラインの記事を読んで日々を楽しく過ごしている足元は薄氷の上であって、例えば自分や家族が健康を害してしまったり、会社が倒産するなどして思わぬ負債を背負ったり、住んでいる家の正面にオズボーン一家が引っ越してきたりして、人生が暗転することなどたくさんあります。
ホームレスを馬鹿にしている立場の人でも、一歩間違うと自分や家族の病気や失業、離婚など、何かのトリガーで自分自身もホームレスになりかねないのが人生であり現実なのです。そこでホームレスになったとして、お前の人生は存在価値がない、ホームレスになったのはお前の責任だ、と指さして若い信者の喝采を浴びることが、果たして価値のあることなのでしょうか。