マンションに隣接するビルへの建造物侵入容疑で逮捕
事件前、多くの近隣住民が山地の姿を目撃し、不審者として記憶していた。さらに彼はその年の3月に、岡山県瀬戸町のパチンコ店で店員にゴト行為を発見され、岡山県警赤磐(あかいわ)署に窃盗未遂容疑で逮捕されていた(起訴猶予)。そこで採取された指紋と掌紋が、マンションの現場から発見されたものと合致したことで、すぐに重要参考人として名前が浮上したのである。前出の記者は言う。
「犯行後はコインランドリーで血まみれの服を洗い、その夜は現場から200メートルほどしか離れていない公園で寝た山地は、『地元の新聞で一番詳しい捜査情報を知る』ために大阪から逃げ出すことはしませんでした。12月4日の深夜、閉店間際の銭湯から黒いリュックを背負って出てきた段階で尾行されていて、100円ショップに入って店の外に出てきたところを刑事たちに囲まれています。そしてマンションに隣接するビルへの建造物侵入容疑で逮捕された」
警察での取り調べで、当初は山地が殺人を否認していたのは、すでに記した通りだ。だが、死亡した有希さんのライターと小銭入れを所持していたことで、呆気なく逃げ道を失った。それらの入手ルートを追及された末に、言い逃れができないことから、殺人の自供に至っている。
「死刑でいいです」
とはいえ、殺人や強姦・強盗の事実は認めても、あらかじめ姉妹を狙った犯行だということは、取り調べ時はおろか、裁判の場でも一貫して認めることはなかった。また、事件前夜に姉妹の部屋の配電盤を操作したことについても、最後まで否認したままだった。
こうした無意味とも思える“頑(かたく)な”な思考は、どのようにして生まれたのだろうか。それらは極刑を回避しようという考えからではなく、あくまで「これだけは認めたくない」という意識で実行された。
事実、彼は逮捕後の取り調べや精神鑑定において、「死刑でいいです」と躊躇なく述べ、姉妹の殺害動機についても、自身の矯正が不可能であるかのような、自分に不利な供述をあえて口にしている。
「昔、母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかったためです。それでもういちど人を殺してみようと思い、2人を殺しました。殺す相手は、この2人でなくても、だれでもよかったのです」